ウォークマンは日本の発明品で絶対売れないと思われていた

1.ステレオを携帯にしたウォークマンステレオを携帯にしたウォークマン
小さく、精密にするという日本文化の技術の代表といえる例が、日本で初めて開発されたソニーのトランジスタラジオでした。ソニーはその後もこの王道を歩み、世界初のトランジスタテレビ(1960年)、世界最小のトランジスタテレビ(1962年)、世界初のトランジスタ小型VTR (1963年)、世界初の家庭用VTRビデオレコーダー(1965年)、世界初のICラジオ(1967年)と、世界に先駆けた商品を次々と世に出し、ヒットさせてきました。

こうした路線を受け継ぎつつも、まったく新しいライフスタイルを切り拓いたのが、1979年に発売されたウォークマン「TPSI L2」です。価格は3万3000円でした。

ウォークマンとは何かと言えば、ポケットやハンドバッグに入れて持ち運び、小型のヘッドホンを付けて、いつでもどこでも自分の好きな音楽をステレオで好きなだけ楽しむことができるカセットプレーヤーです。再生専用で録音機能がなく、いい音楽を聴くことだけに機能を絞った新しい機器でした。

この商品をめぐってはソニー社内で強い反対があったことが、社史に書かれています。ひとつは、録音機能が無いことです。そんな製品は前代未聞で、絶対売れないと主張する社員も多かったようです。

もうひとつは、ウォークマンという名前です。ちょうどスーパーマンが流行っていたことと、カセットテープレコーダーの「プレスマン」のメーカーを基盤にしていたことから若いスタッフが提案しました。歩きながら音楽を楽しむというこの商品のコンセプトにビッタリということで決まりましたが、英語には無い造語だったため、問題になりました。

それでも、ウォークマンがこの名前で世に出たのは、「小型のテープレコーダーに再生だけでよいからステレオ回路を入れたもの」という、創業者で2代目社長の井深大からの提案であり、同じく3代目社長の盛田昭夫が旗を振ったからです。

世界で初めての商品だったため、宣伝サイドはPRに知恵を絞りました。商品発表の日、東京・銀座のソニービルに集まった記者たちをバスで代々木公園に連れて行き、新商品を渡された記者たちがヘッドホンを付けると、商品の説明が音楽付きで流れたと言います。

こうやって、記者たちに新しいツールを体感してもらうだけでなく、若いスタッフや学生がウォークマンで音楽を聴きながら、スケートボードをしたり、自転車に2人乗りしたりと、思い思いのことをしている光景を見せたのです。

なにしろ、それまではいい音楽をステレオで聴くためには、居間に置かれた家具のような巨大なステレオセットの前に鎮座して聴くしかありませんでした。ところが、ウォークマンであれば、歩きながらでもいい音楽を聴くことができるのです。ウォークマンは口コミで、20代のオーディオファンに受け入れられ、やがてすごいスピードで若者全体に広がっていきました。1980年前後は、高度経済成長が終わり、バブルが到来する前の比較的に穏やかな時期で、若者たちの行動も多様化し、集団から個へと軸足を移していました。そういう世相に合致したのかもしれませんが、ウォークマンはまさに時代の寵児となったのです。

2.ウォークマンは世界中でヒットして次々に新機種が出され、発売から13年間で累計1億台を超えるヒット商品になりました。いつでも、どこでも、好きな音楽を好きなだけ聴くというライフスタイルを、世界中の若者たちに広めたのです。
このようにポータブルなマシーンを常に身につけ、必要な時に利用するライフスタイルつまり携帯文化は、扇子や折り畳み傘、腕時計、トランジスタラジオなどにも見られますが、子どもたちに限って言えば、なんと言っても携帯型テレビゲーム機です。

1980年に任天堂からゲーム&ウォッチが発売され、国内外で4000万台が売れる爆発的なヒットになりました。続いて、1989年には同じ任天堂からカートリッジ型のゲームボーイが発売され、携帯ゲーム機でさまざまなソフトが楽しめるようになりました。子どもたちは携帯ゲームに熱狂し、どこに行く時も手放さなくなりました。新しい人気ソフトの発売日には、店頭に長蛇の列ができるようになったのです。そして、携帯文化の頂点とも言えるのが、携帯電話です。携帯電話は1979年、世界で初めて日本で実用化され、自動車電話としてサービスがスタートしました。

1987年頃に今のスタイルの原型ができ、1990年代に入って一気に普及し始めました。日本では、携帯電話の高機能化が進みました。第2世代(2G)と呼ばれる携帯電話機では、インターネットヘの接続やカメラの搭載、GPSによる位置確認などの機能が、世界に先駆けて日本で導入されています。続いて、第3世代(3G)と呼ばれる携帯電話機も2001年に日本が先陣を切りました。テレビ電話やテレビの視聴、リモコン機能や指紋認証が可能になるなど高機能化がさらに進み、携帯電話というよりは「ケータイ」という名の電脳マシーンに進化してきたのです。

国内の携帯電話の契約数は2010年現在で1億1100万件に達し、国民の誰もが携帯電話を持つ時代を迎えています。
しかし、世界に目を転じると、日本のメーカーは90年代後半に携帯電話機の生産台数が世界の2割を占めてトップに立っていましたが、2000年代に入って韓国や中国、スウェーデンのノキアなどに次々に抜かれていきました。

2008年の携帯電話の生産台数は1億8000万台で、第5位にソニーとスウェーデンのエリクソン社が組んだソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズが入っているものの、ソニー連合を除く日本勢のシェアは全社合わせても4%足らずと、いわば泡沫的な存在となっています。この年、三菱電機が事業からの撤退に追い込まれたほか、事業の統合を余儀なくされたメーカーも出ています。

その理由としては、日本が第2世代携帯電話で世界のスタンダードとなったGSM方式と異なるPDC方式を採用したことが挙げられますが、日本の携帯電話があまりにも高機能化し、世界レベルから突出して独自に発展しすぎたという指摘もあります。他の地域とは別個の進化を遂げる、いわゆるガラパゴス化と呼ばれる現象で、だからこそ他国とは違ったケータイ文化が花開いたのだと言えるかもしれません。
第3世代携帯電話では、ふたたび規格が統一されるため、日本勢もソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズを先頭に巻き返しを図ろうとしています。グローバル市場での競争は、まだまだ混沌とした情勢が続いているのです







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