照葉樹林の地域が進んだ文明を育む!日本は気候にも恵まれている

列島の気候から農耕のルーツを探る

何千年も昔の気温変化を知る
日本列島の気候は亜熱帯から亜寒帯にわたる変化に富んだものになっている。そして、地図からわかるように稲作の開始以降の日本の先進文化は、主にカシ、シイ、ツバキなどが茂る暖温帯常緑広葉樹林帯で形成されてきたといえる。


ところで、亜寒帯、冷温帯、暖温帯、亜熱帯の境が、つねに固定していたわけではない。そして、地球全体の気温の微少な変化による冷温帯と暖温帯の境界の南下や北上が、日本の歴史に重大な影響をもたらしたこともあった。

環境考古学という新しい学問がある。その中に、地層内に含まれる花粉から、その地層が形成された時代の温度を知る手法がある。花粉からわかるその時代の植物の組成は、そのときの気温を雄弁に物語る。平均気温の時代的変化をみると、気候がたえず小さな変化をくり返していることがわかる。長い目でみれば、現在の地球は温暖になっている。これは、約1万年前に最後の氷期(氷河期)であるヴュルム氷期が終わったことによるものである。

日本列島は、ヴュルム氷期の終末期にあたる約1万2000年前ごろに温暖化・湿潤化(雨が多くなること)が目立ちはじめた。そして、極地の氷がとけて海面が上昇したため、それまで大陸と陸続きであった日本列島が大陸から切り離されたといわれこの変化が、縄文文化を生み出した。縄文時代のはじめに気温はしだいに暖かくなっていったが、縄文時代には二度の寒冷期がみられる。

そして、4世紀から6世紀に至る古墳時代にふたたび寒冷期が訪れた。それに先立つ三世紀なかば、邪馬台国の卑弥呼の時代の気温は、いまより約1度低かった。これだけでも、稲作に大きな障害になる。そのため古墳時代は日本の文明の停滞期であり、寒冷期の終わる飛鳥、奈良時代に仏教を核にした華やかな中国風の文化が花開くことになった。

江戸時代後半にも小氷期があった。この時代に、日本の各地で七・八月の平均最高気温が30度を下回る現象がしきりにみられた。そのため、天明の大飢饅をはじめ十数回の冷害が起きている。被害にあったのは、東北地方だけであった。

平成五年の冷夏による米不足を覚えている人も多いと思うが、わずかな気温の低下が、稲作に大きな打撃をあたえるのである。


文明を育む気候の条件
世界の気候区と、照葉樹林帯の地図とを比べてみると、興味深いことに気づく。照葉樹林帯が、温暖湿潤気候の地域と温暖夏雨気候の地域とにきっちり分かれているのである。日本や江南(中国の揚子江流域)が前者に、雲南やヒマラヤ山麓が後者にあたる。

しかも、歴史上ですすんだ文明を残した勢力は、温暖湿潤気候の地域に生まれている
そして、そこの現代の人口密度も、温暖夏雨気候のそれよりはるかに多い。

東京と、アラハバード(インド北部)の気温と雨量とを示すと、ここにあげた二つの気候区のちがいがよくわかる。東京では一年中雨が降るが、アラハバードでは秋、冬、春にほとんど雨がみられない。東京でもアラハバードでも夏と冬の気温の差は大きいが、アラハバードでは暑い夏が長く続く。

照葉樹林文化論や、日本の神話の原形は南方の諸国の神話に求められるとする比較神話学の成果に強くひかれた。そして、昭和58年(1983)に日本の農耕文化の起源をみたいとカトマンズを訪れた。

そのときのツアーでみた、雪を抱くヒマラヤの美しい風景は生涯忘れないだろう。ネパールの森林のありさまは、日本にきわめて似ているとも感じた。

しかし、日本とネパールは大きくちがう。ネパールは乾燥地なのである。すぐ口の中がかわ渇いて息が苦しくなる。現地で安く売られている紅茶を飲んでも、すぐのどが渇く。そのうち紅茶にあきてくる.ミネラルウォーターは売られていない。コーラは甘くて何杯も飲めないので、ライム入りのソーダ水をおいている店に出会うと大そうありがたい。温暖湿潤気候に属す上海や香旅行したとき、このような苦しみを味わうことはない。

農耕の起点で同じ作物をつくっていても、温暖湿潤気候の日本などと、温暖夏雨気候のネパールなどでは、まったく異なる歴史をつくっていくのであろう。

日本でも、江南でも大がかりな水稲耕作がなされるようになり、やがて広い農地を支配する有力な国がつくられる。ところが、温暖夏雨気候の雲南やネパールでは、広い森林の中に人びとがまばらに生活する状況が続く。

生活に適しない土地から住みよい土地をめざす侵入や移住がしきりになされるが、その逆はほとんどない。中国の歴史のかなりの部分は、北方や西方からの侵略者の手によってつくられてきたといっても過言ではないほどである。


日本の照葉樹林の起源
かって西日本と関東平野の低地の大部分は、照葉樹林(暖温帯常緑広葉樹林)におおわれていた。ところが、現在では平地の大部分は住宅地や水田、畑になっている。山地の照葉樹林でも、人為的に植樹されたスギ、マツ、ヒノキなどの林にかわってしまったところが多い。

わずかに神社の森などの人為的に保護された場所だけに、点々と照葉樹林が残っている。そういったところは、樹木がうっそうと茂った昼でも暗い恐ろしげなところだ。
関西なら奈良の大峰山、関東なら富士の樹海といった、人を容易に寄せつけない難所も照葉樹林である。

日本列島の照葉樹林は、地球の温暖化の中でしだいに広まってきたものだ。縄文時代のはじめにあたる1万3000年前から1万年前ごろには、照葉樹林は九州の南端といくつかの局地的な小地域だけに形成されていた。

その後、照葉樹林はごくわずかずつであるが、ふえていった。そして、約8000年前から6000年前の気温の上昇により、日本列島は照葉樹林の分布に適した気候になる。北九州と南四国は早い時期に照葉樹林帯になった。

しかし、森林が拡大する速度は遅く、約4000年前にようやく照葉樹林の分布が今日の線にまで至る。このあたりのいきさつは、花粉分析による、まちがいないものである。




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