世界の四大文明に最も自然を生かした縄文文明を加えよう

1992年、青森県で三内丸山遺跡が発掘されました。これは、紀元前5500年頃から紀元前4500年頃にかけて栄えた縄文時代の集落跡です。狩猟、採集経済が行われ、樹木でつくられた集会場、神殿があったと考えられます。また、祖先の墓が集落の中にあった縄文時代というと、世界の四大文明に比べて遅れたもの、劣ったものと思い込んでいる人が多いのですが、そのようなことはありません。

自然を活用して、自然の中で生きることができたわけで、都市をつくる必要もなかったのです。戦争がないので、壁を築く必要もありませんでした。
日本は縄文、弥生の時代に、戦争というものをあまり意識していません。動物が侵入するのを防ぐための柵をつくっているぐらいです。もちろん、完全に争いがなかったとはいえませんが、大陸と比べたら、非常に少なかったということがいえるでしょう。

ですから、古代文明として四大文明が花開いたというようなことがいわれるのですが、それらとはタイプの異なる日本の縄文文明を加えて、世界の五大文明とでもする必要があると思うのです。

インドでは、紀元前2300年頃からインダス川流域でインダス文明が成立したといわれています。ここでは、モヘンジョ・ダロ、あるいはハラッパーといったところに、舗装道路や下水設備、大浴場や穀物倉庫等が完備されていたといいます。

ところが、流域の樹木が乱伐されたことにより、洪水が起きるようになって、紀元前1800年頃に衰亡してしまうのです。樹木の乱伐が原因であったということに、都市国家というものが、自然と調和する文化ではなく、自然を破壊する文化であったことを認識しなければなりません。

ですから、四大文明は、一方で自然を破壊していたということを認識したうえで、従来の文明観の誤りを修正すべきなのです。また、黄河流域では、紀元前5000年頃から紀元前2000年頃に黄河文明が形成されたといわれています。黄土をつき固めた、土壁で囲まれた都市と集落ができました。城壁文化を築いたのです。のちの万里の長城もその延長線上に生まれたものといえます。

しかし、こうして生まれた巨大な城壁が、文明の高さを示す指標になるかというと、むしろある種の野蛮さを肯定する文化であったともいえるのです。その後の中国の歴史を見ても、文明の破壊と構築が繰り返されていることがわかるわけで、そこには常に暴力性というものがつきまとっていたといえます。それが中国の文明の特徴でもあるといえるのです。

このように見てくると、戦争というものが、インドや中国といったアジアにおいても常態化していたということを、世界史を見る視点として備えておかねばならないのだと思います。つまり、文明の発達そのものの中に、野蛮さや暴力性があるということです。それが世界の四大文明を形づくる基本であったということです。

そうした野蛮性、暴力性を伴う文化によって発達した数々の文明ということを考えると、それも強力ではあるかもしれませんが、だからといって、それが進歩している、すぐれているということではないのです。

いずれにしても、文明が自然を破壊するという側面、自然との折り合いがついていないということに目を向けてもいいと思います。それというのも、現代では、自然環境の保全や、エコロジーが重要視されているからです。自然と調和して暮らすということが理想的な人間のあり方であるという人間回帰が志向される時代ですから、私たちはもっと自然という要素を重視していくべきでしょう。

世界史の舞台に最初に現れた古代文明が、メソポタミア文明のように自然を開発することで、自然と対立するものであったり、インダス文明のように、樹木を乱伐したことによって衰退してしまうものであったりすることに、文明の否定的な側面が現れているのです。それらと比べると、日本の縄文文明が、もっとも自然を生かした文明であるといえるのです。




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