日本人と中国人の人間観が根底的に違っていることを認識する

日本と中国は争ってばかりいたのか?
支倉常長が従軍した二度の朝鮮戦役には、豊臣秀吉が明に戦争を仕掛けるという背景がありました。こうなった背景は、まさに世界の情勢抜きには語れません。

ポルトガルやスペインがすでにフィリピンまで押し寄せてきて、植民地化をすすめていました。マニラには日本人街があったことが知られていますし、倭冠貿易の交流もありましたから、それらを通して情報は十分に日本に伝わっていました。メキシコや南米の状況も伝わっていたでしょう。一方、国内ではイエズス会の宣教師が活動し長崎はその手中に入っている、という状況でした。

この脅威、危機感が1587年のバテレン追放になるわけですが、朝鮮や明に戦争を仕掛けたことも、この延長線上にあるのです。押し寄せてくる欧米列強に対抗するには、朝鮮や明と同盟を結ぶことが不可欠です。同盟関係を成立させるのに戦争を仕掛けるというのは一見矛盾していますが、同盟を円滑に機能させる前提として、服従を求めるということがあったわけです。このことはフィリピンや台湾に日本に対する服従を求める記録が残っているところからもうかがうことができます。

日本と中国の関係を戦争という事柄でたどると、まず唐・新羅の連合軍と戦った白村江の戦い、次が13世紀、モンゴルの元が攻めてきた文永弘安の役。そして、明との戦い。これが明治以前の日中三大戦争といえます。このように戦争ばかりを取り上げると日本と中国は争ってばかりいたようにとられますが、歴史の長い時間を考えると、非常に少ないともいうことができます。

むしろはるかに長い時間、大陸から人が渡って来て、日本人が大陸に出かけていき、さまざまな形で交流を重ねてきたことは、多くの記録で明らかです。
それにもかかわらず日本と中国の間にはどうしても溶け合わないものが横たわっている、と感じます。それは何なのか。神話を例にして見てみたいと思います。

中国には盤古神話があります。この神話は、宇宙は巨大なであり、その卵が割れて天と地になり、そこから盤古が生まれた、というところからはじまります。盤古は神ともいえます海要するに怪物です。怪物の盤古は巨大になり、1万8千年経って死にます。その死体の左目から太陽が、右目から月が生じ、血液から河川と四海が生まれ、頭髪から森林と野原が出現し、息から風が起こり、声が雷鳴になります。そして、身体にたかっていた寄生虫から人類の祖先が誕生しました。これが盤古神話です。

盤古の体からは自然界のあらゆる事象が生まれ、盤古という怪物の体にたかっていた虫から人間は生まれた。盤古自身が人間になったのではなく、その寄生虫から人間が生まれた。これは大変示唆的です。

日本の神話と比べてみてください。日本の神話では天地の中から生まれた伊邪那岐の左の目から天照大神、鼻から須佐之男命が出てきます。神の一部が人間になったわけです。そこには人間への肯定的な共感があります。

これに対して中国の盤古神話は、盤古自身ではなく寄生虫から人間は生まれています。意味のない存在から偶然に出てきたものとして人間をとらえています。そこには人間と距離を置き、否定的にとらえる感覚があります。

この感覚は、人間はそもそも罪を背負った存在とする西洋人の人間観に近いといえます。そうなのです。日本人と中国人の人間観は根底的に違っており、中国人の人間観は西洋人に極めて近似している、というよりも、キリスト教を信じない西洋人と同じである、ととらえることができるのです。万里の長を築かなければならないほど常に敵にさらされている中国と、四方を囲む海によって敵から守られている日本。大陸と島国という地理的条件が、異なる人間観に作用している、ということでもあるでしょう。

この人間観の違いが、同じ黄色人種であり歴史的に深い交流を重ねながらもまったく異なった文化を育て、政治的には齪齢を重ねて現代に至っている根本であることを知らなければなりません。
同じ黄色人種、同じアジア人、という認識にもたれかかるのは、決して友好関係には結び付きません。互いの根底にある異質をしっかり認識することが重要です。その認識に立って互いを理解することが、日本と中国の関係では何よりも大切だと考えます。




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