1.日本語で似ている意味の言葉の正しい使い分け│生活編

→あ~か →さ~た →な~は →ま~や →ら~わ
日本語は世界の言語と比べても驚くほど語彙数が多いのが特徴です。多彩な表現ができる一方で似たような意味の言葉もたくさんあり、迷うケースも少なくありません。

ここでは生活に関する勘違いしやすく、間違えやすい日本語を紹介します。

あ~か行
芥川賞vs直木賞
「芥川賞」と「直木賞」は、1935(昭和10)年に当時文事春秋の社長だった菊池寛が、前年に没した直木三十五と、先に没した芥川龍之介、両名の名を記念して創設した賞である。彼は同時に日本文学振興会も設立し、賞の選考を行っている。どちらの賞も所定期間内に発表された作品の中から、文壇の第一人者からなる選考委員が選ぶ形式だ。 両者の違いは、直木賞がエンターテインメント作品が対象であり、芥川賞が斬新な分野を切り開いた純文学作品が対象という点だ。この特色により、直木賞は中堅からベテランの作家が受賞することが多いのに比べ、芥川賞は無名な作家や新人作家が対象になるケースが多い。 賞金はどちらも100万円。芥川賞と直木賞は、どちらかを受賞すると、それ以降は両賞ともに候補に挙げられなくなる決まりだ。

アルバイトvsパート
「スーパーでパートする」とか「コンビニでアルバイトしている」などと表現するが、この「パート」と「アルバイト」は、どこか就業内容に違いがあるのだろうか? パートとは英語のparttimeが語源で、文字通り労働時間が一部だけの人という意味。つまり短時間労働者を指す言葉だ。パートタイム労働法でも、「同一の業務に従事する労働者に比して一週間の労働時間が短い者をいう」と定義づけされている。 ではアルバイトはどういう意味かというと、こちらはドイツ語のarbeitが語源で副業的、臨時的に就業する者のこと。学生アルバイトなどと呼ぶのはそのためで、臨時雇いの労働者、短期間労働者を指す言葉だ。

いけばなvsフラワーアレンジメント
日本には○○流という「いけばな」の流派があり、華道として道を究める精神性も重んじられる。一方で「フラワーアレンジメント」は、花を使ってあれこれ飾るという意味で、デザイン性は重視されるが、これといった定義があるわけではない。 両者の大きな差は、その目的にあるといってよさそうだ。 「フラワーアレンジメント」は、花や草、ときには枝などを使って室内や空間を飾り、そこに住んだり通過したりする人を心地よくさせるためにデザインするところから工夫が始まる。しかし「いけばな」の始まりは、神に供えるための草花や樹木を飾って肥ったことにある。喜ばせる相手が人間と神仏という目的の違いだ。また、フラワーアレンジメントは、形や構造、香り、色彩の基礎を学び、そこに象徴性を持たせることでアートとして成立するものだ。つまり、最初からいくつもの草花や枝を使うことを前提に、分析したり組み立てたり、と科学的に学ぶ部分が多い。 確かにいけばなにも構成理論はあるが、それはあくまで、最低限の2、3本の花あるいは枝による造形についてだけ。本来、樹木を1本だけ立てて、そこに神が降臨するとした考えがいけばなの起源であり、自然や生命を宿し表したものがいけばなである。 フラワーアレンジメントは、次々に花をさして装飾していくものであるのに対し、いけばなは、できるだけ少ない花で空間を生かし、美しく見せるものといっていいだろう。

実印VS認印VS銀行印
契約書を作るときなど、印鑑を捺すのに「実印を」「認印を」などと指定されることがある。また、印鑑にはこの「実印」と「認印」のほか、「銀行印」という言葉もある。 「実印」とは、市区町村役場で印鑑登録しておき、印鑑証明書をとるのに用いる印鑑である。不動産の売買や車の購入、そのほか重要な契約に必要となる。 印鑑のなかでも、最も重要なものだ。 この実印に次いで重要なのが「銀行印」。 銀行口座開設のときに登録し、窓口で引き出すときに必要となる印鑑である。 最後の「認印」は、宅配便などの物品の受領や一般的な契約など、日常的に最もよく用いられる。多くの人の目にふれるので、「実印」や「銀行印」と兼用したりすると、偽造される危険がある。

液晶テレビVSプラズマテレビ
近年、場所をとる従来のテレビに代わって、薄型の「液晶テレビ」や「プラズマテレビ」が人気を呼んでいる。 どちらも、画面が大きく、それでいて場所をとらず、しかも高画質という点が共通しているが、仕組みはまったく違う。 液晶テレビは、液体と個体の両方の性質をもつ物質である液晶を用いたテレビだ。液晶は、熱や電圧を加えると結晶の配列が変わり、光を透過したり、反射したり変化するので、それを利用して画像を映す。 一方のプラズマテレビは、プラズマ放電によって紫外線を放出し、蛍光体を刺激して光を発する仕組みのテレビである。 この二つを比較してみると、液晶テレビは画面が大きくなるほど製造が難しくなるため、現在のところ40型ぐらいが限界である。 プラズマテレビは逆に小型化が難しく、超大画面が得意分野で、42型ぐらいの機種が充実している。

表千家vs裏千家
茶道の始祖は千利休である。現存する流派は「表千家」と「裏千家」、そして武者小路千家の3つ。これを合わせて三千家と呼んでいる。 最初は千利休1人から始まったものなのに、なぜ流派が分かれてしまったのか?なぜ表と裏があるのだろうか? 千利休は秀吉の右腕と呼ばれる地位にまで上りつめたが、結局秀吉と対立して切腹を命じられてしまう。 こうして一時は断絶したかに見えた千利休の茶道だが、その後しばらくひっそりと継承されていた。孫の宗旦が守り抜いた利休の茶室は、やがて宗旦の三男へと譲られる。これがのちの表千家である。 このとき、宗旦は利休の茶室の裏にもう一つの茶室を建てて、これを四男に譲った。ここから生まれたのが裏千家。利休の茶室の裏にあったからという、単純な命名だ。 武者小路千家は、宗旦の次男が京都の武者小路に茶室を建てたことから始まった流派である。 現在の弟子数は、裏千家が表千家を圧倒的に上回っているという。

会席料理vs懐石料理
結婚式や旅館の食事などでよく目にし、口にするのは会席料理である。日本人にはいちばんなじみの深い日本料理のひとつかもしれない。江戸後期から宴会の際の料理として発達してきたものだ。 「会席料理」の元になっているのは、日本の正式な食作法。武家社会で一般化されてきた本膳料理が簡素化されたものに、懐石料理の趣を加えたものである。 先付け・前菜・お椀・刺身・焼き物・和え物・揚げ物・蒸し物・酢の物・食事(ご飯・止め椀・香の物)・果物(水菓子)といった順で出されるのが基本だ。 「懐石料理」とは、しばしば会席料理と混同されるが、こちらは茶道の会合である茶事で出される料理。脚のない膳にご飯・汁・向こう付付・焼き物・強い肴・箸洗い(小吸い物)・八寸・香の物・菓子・濃茶・薄茶(干菓子)という順番で出される。 ちなみに懐石料理という言葉は、千利休が茶の湯を確立した安土桃山時代に、修行中の禅僧が温めた石を布に包み、懐に入れて空腹をしのいだことに由来している。 つまり会席料理はお酒をおいしくいただくための料理であり、懐石料理はお茶をおいしくいただくための料理。名前は似ているが、主役は大きく違うわけだ。

キャバレーvsキャバクラ
「キャバレー」とは、お酒を楽しむ屈ではあるが音楽が不可欠で、プロがショーを見せる舞台や客が踊れるダンスホールを設けている。古くからある酒場のスタイル。こうした店にはもちろん女性、つまりホステスも置いている。第二次大戦後に、占領軍が日本にもたらしたものだ。 同じように酒を飲ませる店でも、ホステスとの会話を楽しむことに重点を置いて、高級感を持たせたクラブと呼ばれる酒場形態だ。男性客が周囲にホステスをはべらせていい気分に浸る。その分利用料金も高い。 そこで、このキャバレーの大衆性とクラブの高級感を合わせて、客を楽しませようと考案されたのが「キャバクラ」。要するにキャバクラとはキャバレーとクラブをくっつけて、店の営業形態をわかりやすく示した合成語である。 ホステスがマンツーマンで接客し、会計はキャバレー並みに明快というので、キャバクラは1980年代半ばに誕生すると、いちやく飲食接待業の主流に躍り出た。 考案者の店舗経営者は1985年度の流行語大賞表現賞を受賞するに至ったほど。キャバクラは、今ではすっかり市民権を得ている。

休日VS休暇
「休日」と「休暇」の意味が異なると認識している人は、いったいどれほどいるだろうか? 「休日」とは、労働が義務づけられていない日であるのに対し、「休暇」とは、特定の条件に該当した場合だけ労働義務が免除されて休める日である。 たとえば、「慶弔休暇」の場合なら、慶弔休暇の届を出し、上司が認めると休むことができる。休みを希望した日は本来労働日だから、「休日」ではなく「休暇」に当たるわけだ。 逆に、会社で所定の休みに定められている日は「休日」になる。 長い休みを「休暇」と呼ぶようなイメージがあるが、年末年始や夏休みなどの長い休みも、それが所定のものなら「休暇」ではなくて「休日」である。もちろん、「夏休みは各自×× 日以内で有給を使ってとってもいい」といわれて有給を使えば、それは「休暇」になる。

強迫vs脅迫
「強迫」と「脅迫」をどう使い分ければいいのだろうか? 強迫とは、相手が自由意思を妨げられるほど強く迫ることなのに対し、脅迫とは、相手を脅して要求通りにするよう迫ることだ。 法律上では、とくに明確に「強迫」と「脅迫」を区別している。刑法では「脅迫」に、民法や商法では「強迫」になる。つまり、刑事的な犯罪に値するなら「脅迫」で、これに値しないなら「強迫」である。

警視庁vs警察庁
「警視庁」と「警察庁」は、一文字しか違わないので区別がつきにくいが、日本全国すべての警察をまとめているのが「警察庁」である。「警視庁」は警察庁の一部であり、東京都を守護する立場にある。 警察庁は、警視庁、及び全国都道府県警察本部の頂点に立つ、警察行政の中央機関。警察庁の下に、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州の七管区警察局を置く。職員は国家公務員だ。 警視庁は首都東京の警察機構。1947(昭和22)年の警察法公布まで、首都警察として特別の国家的性格を持ち、東京府から独立して、衛生、消防を含む警察行政全般に絶大な権限を持っていた。こちらの職員は、地方公務員になる。

K点vsバッケンレコード
スキーのジャンプ競技を見ていると、「K点越えです」とか「バッケンレコードが出ました」などとアナウンサーが話している。 「K点」というのは、ドイツ語のKonstruktions Punktの略で、極限点を意味する言葉である。つまり、これ以上飛ぶと危険という意味合いのある飛距離の基準点で、K点は赤いラインで示されている。 ちなみにKは、ジャンプ台の規模を示す際にも使われていて、K-120とかK-90といったふうに表される。 これに対し、「バッケンレコード」というのは、公式記録として残っているそのジャンプ台の最長不倒距離(転ばずに跳んだ最も長い距離)のこと。バッケンとはノルウェー語で「丘」という意味だが、スキーの金具のドイツ名からとった言葉だという説もある。

香水VSオーデコロン
フレグランス製品を買うとき、「香水」にするか「オーデコロン」にするか、迷った経験はないだろうか。 強い香りが苦手な人は、「香水よりオーデコロンのほうがいい」などというが、この二つはどう違うのか? 香水もオーデコロンも、香料の種類や調香方法などは同じだが、アルコールの度数と香料の濃度が違う。 香水はアルコール度数90~95度で、アルコールに含まれる香料の比率は15~25%ほど。これに対しオーデコロンは、アルコール度数が約80度で、香料の比率は3~5%と、香水に比べてごく少ない。 この違いのため、香水は香りが強くて長時間香りが持続するが、オーデコロンは軽い香りなので、持続時間が短い。

交番VS駐在所
「交番」と「駐在所」は、混同されがちだが違いがある。 「交番」は、1881(明治14)年、警察官が6人で一定の地域を受け持つ「巡査派出所」が設けられたことに始まる。つい最近まで、「巡査派出所」が正式名称で、「派出所」がその略称、「交番」は通称だった。しかし1994(平成6)年になって、親しまれてきた「交番」の名が正式名称に変更された。 これに対して、「駐在所」は、「交番」と同じく警察署の下部機構だが、原則として一人の警察官が家族とともに住み込み、地域社会の一員として活動する施設をいう。

コーヒーカップVSティーカップ
喫茶店で紅茶を注文したときと、コーヒーを注文したときとでは、出てくるカップが違うことにお気付きだろうか。コーヒーは紅茶に比べて口が狭くて深いカップで出てくるが、紅茶は口が広くて浅いカップに入ってくる。 「ティーカップ」と「コーヒーカップ」の違いは、一体何だろうか。 紅茶用のティーカップの口が広く浅いのは、紅茶の色をきれいに見せるためである。紅茶は色を楽しめる飲み物なので、見た目の美しさを優先しているのだ。コーヒーは色が濃いので、色を楽しむというものではない。そこでコーヒーカップはコーヒーが冷めにくいよう、ロを狭く深くして機能性を重視しているというわけだ。

告訴vs告発
「医療ミスで遺族が病院を告訴した」「弁護士会が不法な闇金融を告発した」など、ニュースでは「告訴」「告発」という言葉がよく使われる。 どちらの場合も、「被害に遭った」と捜査機関に訴えて、相手の処罰を求めている。よく注意してみると両者の違いがわかる。 記事に「告訴した」とあれば、被害者か、またはその保護者や遺族といった法定代理人が訴え出ている。 しかし、「告発した」とあるときには、弁護士会や内部事情を知る人など、被害者でもその法定代理人でもない人が行っている。被害者やその法定代理人を「告訴権者(告訴権をもつ人)」といい、「告訴権者が捜査機関に犯罪事実を申告して、犯人の処罰を求める意思表示」が「告訴」、告訴権者以外が同じことをすれば「告発」になるのである。 たとえば、医療ミスなら、訴え出たのが患者本人や遺族の場合だと「告訴」になるが、同じ病院の医師や看護師などが、医療ミス隠蔽の事実を知って捜査機関に訴え出たという場合は「告発」になるわけだ。

小切手vs手形
受け取った人が金融機関で現金化できる小切手と手形は、似ているようでも、その目的が違う。「小切手」は、銀行に対しあらかじめ当座預金契約をした振出人が、受取人への支払を委託する有価証券だ。主に現金の代用として使われる。小切手を作成して使用するには、振出人が金額に見合う資金をいつでも支払えなければならない。 手形には小切手に似た為替手形もあるが、一般に手形というと約束手形を指すことが多い。約束手形は作成した時点で金額に見合った資金がなくても、手形を振り出す企業などの信用力で支払を先に延ばすものだ。 つまり、「手形」は信用の手段として使われる。記載された決済日に額面通り支払われないと不渡り扱いになり、6カ月以内に2回目の不渡りを出すと、振出人は銀行取引停止処分となる。

国民年金VS厚生年金
高齢化社会で年金制度の危機が叫ばれるようになって久しく、誰しも自分の老後の年金が気にかかっているだろう。 高齢者に受給される年金制度には、「国民年金」と「厚生年金」がある。「国民年金」は満20歳以上60歳未満の国民が全員加入を義務づけられているのに対して、「厚生年金」は、厚生年金保険を適用している民間企業の勤労者が加入する。 つまり、民間企業に勤めている人の多くは、国民年金と厚生年金の両方に加入しているわけである。 すると当然、保険料の額は国民年金だけを支払う人より多くなる。しかし企業が半額程度負担してくれるので、実際の支払い額は、国民年金だけの人に比べて多いとはかぎらない。 やがて年をとると、国民年金に加入して25年以上の資格期間を満たした人は、65歳から老齢基礎年金を支給される。厚生年金に1年以上加入していた人は、この老齢基礎年金に上乗せする形で、老齢厚生年金が支払われることになる。

戸籍謄本vs戸籍抄本
我々は、氏名や生年月日、父母との続柄や配偶者関係などを記した「戸籍」を持っている。この戸籍の証明として本籍地の役所で交付されるのが「戸籍謄本」や「戸籍抄本」だ。 では、戸籍謄本と戸籍抄本はどこが違うのだろうか? 戸籍謄本は、戸籍原本の内容を同一の文字符号によって全部写したコピーで、戸籍の筆頭者と配偶者、未婚の子からなる全員が記載されている。原本の内容を証明するために作られる書面だ。 だが、たいていの場合、家族全員の証明、つまり謄本は必要ない。そこで、戸籍の構成員のうち、証明が必要なひとりだけ載った書面を交付してもらう。これが戸籍抄本である。 戸籍謄本が原本全体の写しなのに対して、戸籍抄本は原本の一部の写しといえるだろう。

コンサートvsリサイタル
「コンサート」と「リサイタル」の違いは、原語の意味を知れば、すぐわかるだろう。 コンサートとは、「共同で行うこと」の意味。最初はオーケストラのように何人かの人がいっしょになって演奏するスタイルの音楽会に使われ始めたものだ。 ヨーロッパでは、王侯貴族が屋敷に招いた音楽家たちに演奏させて楽しむだけだったものが、17世紀後半になると庶民にも開放されて公開演奏が行われるようになった。「コンサート」は、その頃から使われてきた言葉である。後にオーケストラに限らず、3人以上の演奏家によって開かれる公演は、コンサートと呼ばれるようになった。 リサイタルは、本来は「朗読・暗唱・講演会」などを指したが、音楽会にも流用され、1人の人物による演奏会や独唱会にも使われるようになった。 150年ほど前、19世紀最高のピアニストと称されたリストが演奏会を開くとき「ピアノによるリサイタルを行う」と宣伝した。このことから、「リサイタル」の言葉が広まったという。

婚約VS結納
「婚約」も「結納」も、結婚を前提とした行為であることに違いはない。しかし、一組の男女が、互いに「結婚しよう」と意思の確認さえすれば、それを婚約と呼ぶことができるのに対し、結納は、もう少し公的なものだ。当事者の家族等を交えて金品を取り交わし、婚約が成立したことを確認するセレモニー的性格を持つ。 要するに、婚約に、家同士という組織の社会的裏づけを持たせたものが結納といえる。


さ~た行
定規VSものさし
長さをはかったり、直線を引いたり、カッターで紙を切るときなどにいつも使っている事務用品は、「定規」だろうか?「ものさし」だろうか? 定規もものさしも同じものだと思われがちだが、本来は意味が異なるものである。 「定規」のほうは、直線や曲線を引くとき、直線かどうか確かめるとき、角度を書くとき、直角かどうか調べるとき、カッターで紙を切るときなどに使う用具だ。 これに対して、細長い板やテープなどに目盛りをつけ、その目盛りで長さをはかる計量器が「ものさし」である。 とはいえ実際には、長さをはかるときも、直線を引くときにも同じ用具を用いている。現在では、厳密な違いがなくなってきているようだ。

挿し木vs接ぎ木
樹木を増やす方法には、大きく分けて二つある。実生繁殖と栄養繁殖である。 実生繁殖というのは種を蒔いて苗木を育てる方法なのに対し、栄養繁殖とは挿し木や接ぎ木などのことをさす。植物の一部を用いて増やす方法だ。 この栄養繁殖の方法である「挿し木」と「接ぎ木」は、植物の一部を用いて増やすという点では同じだが、発根させる方法がまったく違う。 挿し木は、枝や茎を切って地面に挿し、発根させるもの。なるべく新芽の部分を選んで5センチ程度カッターなどで切り、1時間ほど水につけて水揚げし、土に挿すだけの簡単な方法だ。 種から蒔いて育てるほど多量に苗を増やすことはできないが、比較的数多くの苗木を増やすことが可能で、しかも種から育てるよりもはるかに手間がかからない。失敗も少ないので、最も親しまれている繁殖方法だ。種で増やしにくい品種やハーブ、観葉植物などを増やすのによく利用されている。 接ぎ木は、挿し木と同じようにカットした枝や芽などを、土ではなく、すでに成長している樹木(台木)に接ぐもの。挿し木に比べると、台木の養成に手間がかかり、技術的にちょっと難しいが、実生や挿し木より生育や開花、結実が促進されるのがメリット。増殖させるのが困難な樹木も、この方法なら増やしやすい。 ウメやカキ、クリ、サクラ、ツバキ、ハナミズキ、ボタン、モミジなどが接ぎ木に向いている。

ジーンズVSジーパン
アウトドアやカジュアル・ファッションに欠かせない「ジーンズ」のことを、昔はよく「ジーパン」と呼んだものだ。本来の名前はどちらなのかというと、「ジーンズ」だ。 1850年代のアメリカで、ゴールドラッシュが起こり、金鉱を掘る人々がじょうぶで動きやすいズボンを欲しがった。その需要に応じて、デニムで作ったズボンが開発されたのが、ジーンズの始まりだ。 素材のデニムの産地がおもにイタリアのジェノパだったので、「ジェノパ」が訛って「ジーンズ」と呼ばれたのである。 やがて第二次世界大戦後、米軍が放出したジーンズを日本で売り出すにあたって、日本に駐留していたアメリカ軍兵士(Gl) たちがジーンズを愛用していたところから、「ジーアイのパンツ」を縮めて「ジーパン」と名づけたようである。ジーパンはまったくの和製英語だったのだ。 だから「ジーパン」という言葉は、日本以外では通じない。

事情聴取vs取り調べ
もしも、知人が警察に呼ばれて事情聴取を受けているなどと聞いたら、誰もが、「あの人が何かやらかしたのか?」と驚くだろう。 だが、そう思うのは早計だ。「事情聴取」は、「取り調べ」とは違うのである。 事情聴取は、事件または事件の可能性がある事柄について、どうしてそのようなことが起こったかなど、関係者などに事情を質問することである。当然、事情聴取を受ける人のなかには、犯人の可能性が疑われている人が含まれることもあるが、事件解決のためには、そうした疑いがない人に対しても、必要があれば事情聴取が行われる。 これに対して、取り調べは、被疑者を対象に行われる。刑事ドラマなどで、逮捕・拘留した被疑者に対して、「おまえがやったんじゃないのか?」などと刑事が問い詰めるシーンが出できたら、それは「取り調べ」であって、「事情聴取」とはいわない。

シャツVSブラウス
男性が背広などの下に着ているのは「シャツ」だが、女性の場合は「シャツ」と「ブラウス」の区別がわかりにくい。 なんとなく男性のワイシャツのようなデザインだと「シャツ」、フェミニンなデザインだと「ブラウス」と呼んでいるが、どうもはっきりしない。 じつは、衣料用語やJIS規格では、シャツとブラウスに厳密な区別はない。 慣習として、シャツは男性用にも女性用にも使われるが、ブラウスは女性用というだけだ。とはいえ、ルーツをたどれば、シャツとブラウスは別ものだったようだ。シャツは本来、上着の下に着る下着とされていたが、ブラウスは女性や子供用の薄手の上着としてスタートしている。 男性の下着だったシャツを女性も着るようになると、フェミニンなデザインのシャツも登場し、薄手の上着だったブラウスとの境界があいまいになったと考えられる。

重要文化財vs国宝
文化財とは、文化財保護法に基づいて文部科学省が指定する。有形、無形、民族文化財や記念物のほか、最近は伝統的建築物群といった文化財が、その種類や価値によって、それぞれ分類・指定されている。 数多くの文化財のなかでも重要な有形文化財が、「重要文化財」となる。 重要文化財の指定を受けると、一般に公開する義務が生じ、管理責任者も決められて、汚れや破損に注意を払わなければならないし、修復にも国の許可を得る必要がある。 重要文化財のなかでも、とくに美術的、学術的、文化的価値が高いものが、「国宝」である。重要文化財のうち、国宝に指定されているのは10分の1ほどにすぎない。

署名VS記名
「署名」も「記名」も、自分の名前をなんらかの書類に書き記すことだが、その法的効力は決定的に違う。 もともと署名とは、自分の名前や住所を、自分の手書きで記すことである。 一方で記名とは、たとえば作りおきしてあるゴム印を押したものでもいいし、書類を作成した続きにワープロなどで打ち込んだものでもいい。当然、力は、記名よりも署名のほうが強い。 しかし、記名にハンコを押すことで法的効力が加わることもある。法律では、記名+捺印を署名にかえることができるとしている。つまり、名前を自筆で記していなくても押印があれば、それなりの法的効力が認められる場合があるということだ。 ただ、日本の現状では、契約書のような重要書類では、署名・捺印が慣例となっていて、その法的効力の順位は、①署名+捺印、②署名のみ、③記名+捺印となるのが普通だ。

書写vs書道
「書写」とは、あくまで相手あるいは多くの人への意思伝達手段として文字で記録すると捉えるもの。したがって書写は、「文字を正しく整えて、読みやすく書く」ことを基本に据えて学ぶものだ。学校教育で、手本を見ながら書くのが、書写である。 一方で、「書道」となると、芸術としての性格を持つ。つまり、表現の仕方が重視されることになる。それは、文字そのものの形にとどまらず、墨の濃さから紙の余白とのバランス、またそれを見た人が呼び覚まされる感情といったものが大切になるのだ。 これらの性質の違いは、学校教育のカリキュラムでもはっきりしており、書写教育は国語科だが、書道となると音楽や美術と同じ芸術科目とされている。

証人vs参考人
国会の国政調査権(憲法第六二条)によると、国会の「証人」は出頭が義務であり、宣誓をし、きちんと証言しなければならないと定められている。もし正当な事由もなく出頭しなかったり宣誓や証言を拒否したりすると、1年以下の禁固または10万円以下の罰金。虚偽の陳述をすると3カ月以上10年以下の懲役が科される。それに比べ、「参考人」の場合は、強制もなければ制裁規定もない。 本人が絶対に嫌だと言い張れば、強制的に出頭させることはできないし、たとえ出頭したとしても、供述を拒否することも可能である。 これだけの差があるのだから、証人喚問なのか、参考人として話を聞くのかでは大きな違いが出てくることになる。

商品券VSギフトカード
デパートの「商品券」と同じように、デパートで買物をするときに使えるのが、信販会社や旅行会社などの「ギフトカード」だ。 消費者側からみれば、商品券とギフトカードの違いは一長一短だ。商品券ではおつりをもらえるが、ギフトカードではおつりをもらえない。その点では、商品券のほうが便利だが、ギフトカードは全国の多くのデパートで使えるという利点がある。 デパート側からみれば、商品券と、ギフトカードでは利潤に違いが出てくる。 ギフトカードで支払われると、デパートは、ギフトカードを発行している会社に手数料を支払わなければならない。 デパートとしては、当然、ギフトカードより商品券のほうが売れてほしい。しかし、やはり使える店が多いほうが便利なせいか、商品券はギフトカードに押されぎみのようである。

賞味期限VS消費期限
食品には、「賞味期限」と表示されている商品と「消費期限」と表示されている商品がある。 どちらも、「この期日までに食べるように」という意味だが、どうして表示に「賞味期限」と「消費期限」があるのだろうか? 「消費期限」と表示されているものは、精肉や魚や惣菜など、日持ちがしない食品だ。品質が急速に変化しやすく、製造後おおむね5日以内に消費すべき食品には、「消費期限」として期限表示する決まりがある。 これより日持ちする食品になると、「賞味期限」と表示される。 「消費期限」と表示されている食品は、期限をすぎると腐敗や食中毒の危険が出てくるが、「賞味期限」表示の食品は、期限をすぎてもすぐに食べられなくなるわけではない。あくまでおいしく食べられる期限の目安である。

新選組vs新撰組
歴史小説や文献などを見ていると、「新選組」が「新撰組」と書き表されているものにときどき出くわすことがある。この両者はまったく別のものなのか、それともどちらかのミスなのか? 結論からいえば、どちらもあの有名な新選組を指す言葉であり、どちらでも間違いではない。 そもそも新選組とは、1792(寛政4)年に会津藩が軍制改革をした際に藩主を守備する親衛隊として生まれ、会津藩から与えられた名前である。このとき、会津藩がつけた名前の文字が「新撰組」。 ところがその名前を賜った近藤勇や土方歳三は「しんせんぐみ」という言葉の響きはそのまま使いながら、実際は「新選組」と表記することが多かった。 当時の印鑑の印影には「新選組」となっているし、大正時代まで現存していた表札にも「新選組」と書かれていたと記録されている。 会津藩から賜った「新撰組」ではなく、新しく選ばれた者たちによる組織という意味を強く出した「新選組」という名前。彼らの思いが文字の選択からも伝わってくるかのようである。

世阿弥vs観阿弥
いうまでもなく、「観阿弥」と「世阿弥」は親子である。そろって能の始祖とされており、偉大な芸術家であったことに違いはないものの、能の伝統の草創期に果たしたこの二人の役割には大きな違いがあった。 能の原型は猿楽・田楽である。どちらも歌舞音曲の芸だが、大陸伝来の芸の伝承者たちが、寺社の保護を受けながら伝承・発展させてきたのが猿楽。田楽は日本の農民のなかから自然発生的に生まれた、祭祀の折に行われたやや物語性のある歌舞だ。 観阿弥の登場した室町時代、これらの楽劇は座を組んで各地の祭礼などで芸の披露をしていたが、観阿弥は他流のいいところを取り入れるなど工夫を怠らず、多くの台本を書いたうえ、幽玄の美を加えて芸術性を高めていった。民間の芸能である「能」を、上流の武士にも喜ばれるものにしたのが観阿弥である。 この功績が足利義満将軍の目に留まったわけだ。 このとき世阿弥は18歳、父のよき後継者になる素質を見せていたが、彼が優れていたのは芸だけではなかった。22歳で父を亡くしたあと、教えられた芸の洗練に努め、父の数を超える100本以上の台本を書いたほか『風姿花伝』など多くの能楽論も記す。世阿弥は、能を系統だてて整理し、後世に伝えるものとしての付加価値を存分に示すことに成功したといっていい。

世界新記録vs世界最高記録
オリンピックやワールドカップなどを見ていると、陸上や水泳、スピードスケートなどの種目で世界新記録が樹立されていくシーンをよく目にする。 ところが、同じように個人競技であり、記録に挑むスポーツなのに、マラソンの場合は、なぜか世界新記録というものがない。マラソンに存在するのは「世界新記録」ではなく、「世界最高記録」なのである。 世界新記録とは、国際競技連盟が公認した種目において、気象や競技場の条件など、一定の条件を満たした場合にだけ認められると定められている。 ところがマラソンとなると、レースによって気温や湿度、道路の起伏などの条件があまりにも違ってしまう。距離が長いから、風速や風向き、コースの状態、坂の距離や傾斜度、路面状態など、すべてを一定範囲内におさめることなどとてもできない。その結果、「一定の条件を満たした場合にだけ認める」とされている世界新記録や日本新記録はどうしても当てはまらないのである。 そこで生まれた言葉が世界最高記録や、日本最高記録。これはマラソンに限って使われている言葉というわけだ。

捜査vs捜索
「捜査」とは、公訴のために捜査機関が犯人を発見・保全し、証拠を収集・保全する行為である。警察官が犯行現場を調べたり、遺留品の出所を調べたり、聞き込み調査を行ったりするのは、すべて「捜査」だ。 やがて捜査が進むと、犯人である可能性が高そうな人物、犯人が隠れていそうな場所、凶器と考えられる品、決定的証拠となりそうな品などが絞られてくる。 そこで初めて、「捜索」が行われる。 「捜索」とは、押収すべき物や身柄拘束すべき人(被疑者)の証拠物を発見するため、捜査機関が身体や物、住居などを強制的に調べることをいうのだ。

草履VS雪駄
男性が和服を着ると、草履か雪駄か下駄を履くものだが、このうち「草履」と「雪駄」の違いがわかるだろうか? 一見同じように見えるかもしれないが、よく見比べると、一般的に草履のほうが雪駄よりもかかとが高い。草履は、表素材と底のあいだに一枚芯を入れてあるので、雪駄よりかかとが高くなっているのである。違いはほかにもある。

正式な雪駄は裏底に草履より硬くて厚い牛革が張られている。 この雪駄を考案したのは、茶人として名高い千利休と伝えられている。利休は、雪の日の茶会のため、履物に湿気が通らないよう、竹皮草履の裏側に、通常の草履より硬くて厚い茶色の牛革を張り、金属の鋲を打ったのだ。これが雪駄の起源だといわれている。

代休VS振替休日
休日に出勤しなければならなかったとき、代わりの休みをとれる会社も多いが、その休みは、「代休」になることもあれば、「振替休日」になることもあるはずだ。 じつは、「代休」と「振替休日」は同じ意味ではない。 「振替休日」とは、就業規則などで定められている休日を、事前に指定した労働日と支換したもの。 一方で「代休」とは、代わりの休日を指定せずに休日に労働させ、あとで安息日として代わりの休みを与えたものだ。 休める日が事前にわかるかどうかの違いだけではなく、賃金の計算にも影響する。 振替休日だと、たんに休日が変更になるだけだが、代休となると事情が変わる。労働した休日は法定休日労働の扱いで、賃金は通常の3割5分以上の割り増しになるわけだ。

陶器vs磁器
皿や茶碗、コーヒーカップなどを陶磁器というが、これは「陶器」と「磁器」をひとくくりにした言葉。陶器も磁器も同じ焼き物ではあるが、その性質や素材などはかなり違う。 まず向器と磁器を簡単に見分けるには、叩いてみるといい。チーンと高い音がするものが磁器。普段よく使っている食器の多くが磁器である。 陶器の素材は粘土。バクテリアなどの作用で土が粘り気を帯びた陶土である。 普通はうわ薬を掛けて焼き上げており、焼成温度は1100~1200度だ。温度がさほど高くないので柔らかくて割れやすいため、あまり薄く形成することはできない。日本の備前焼や益子焼が有名である。 一方磁器の素材は、石を砕いた粉末(陶石)や、それに粘土や長石などを少し加えた磁土。とれを水で練って形を作り、うわ薬をつけて焼いたものが磁器である。焼成温度は1300~1400度前後。陶器より高温で焼き上げるので、硬くて薄いものが作れる。瀬戸物と呼ばれている食器類は磁器で、地肌が白く表面がなめらかだ。細かくて鮮やかな絵付けができるので、さまざまなデザインのものが出回っている。有田焼や九谷焼がよく知られる。

徳利VS銚子
同じ酒器を「銚子」と呼ぶこともあれば「徳利」と呼ぶこともある。しかし、「銚子」と「徳利」は、本来はまったく別の酒器である。 銚子とは、もとは長い柄のついた注ぎ口のある酒器を指していた。我々が「お銚子」と呼んでいる器と違い、急須に似た形だったのである。しかし今日では、本来の銚子は、結婚式の三三九度の酒を注ぐときぐらいしか用いられていないようだ。 一方の徳利は、水瓶や、酒を神棚に供えるための瓶子などから成立したといわれている。 この徳利は、我々がよく使う一合徳利と違い、本来は1~3升入りだった。 徳利から、柄があって蓋のない片口のような容器に酒を分け、さらに銚子に小分けしてから杯に注いだのである。 この徳利の語源は諸説あるが、有力な説では、朝鮮語で「容器」を意味する「トックル」から転じたといわれている。

トリートメントVSコンディショナー
髪を洗うとき、シャンプーだけを使ったのでは髪がゴワゴワする。そこで「トリートメント」や「コンディショナー」を用いることになるのだが、これらはどこか違いがあるのだろうか? トリートメントとコンディショナーには、有効成分の配分量に違いがある。 トリートメントは成分が濃いため、毛髪への吸着がいい。表面のキューティクルの隙間から髪の内部に入り込み、内部から髪の状態を整えるわけだ。 これに対し、コンディショナーは、メーカーにもよるが、一般的には有効成分が髪の内部には入り込まない。髪の表面に皮膜をつくって、髪のすべりをよくする働きをするものである。 同じメーカーなら、一般的にはトリートメントのほうが有効成分の配分量が多いと考えていい。 そのため、髪が健康なときにはコンディショナーでよくても、パサつきがひどいときや傷みが目立つときは、トリートメントを用いたほうが早く回復する。

トレッキングvs登山
山が好きな人でも、登山をするとなると尻ごみする人は多いだろう。 でも、「トレッキング」ならば、「登山」の経験のない初心者でも気軽に山を楽しむことができる。トレッキングというのは、ヒマラヤ山麓で山々を眺めながら歩くツアーの旅行業界用語として生まれた言葉で、語源となったのはオランダ語の「トレッケン」。これは「のんびりと馬車で旅をする」という意味である。 つまり、山頂を目指して時には危険を伴いながら山道を分け入っていくのではなく、山麓や中腹をのんびりと自分の足で自分の歩調で歩いて、山のさまざまな風景を楽しむのがトレッキングである。 ある程度の標高がある山ともなれば、登山をするには、それなりの装備が必要だ。技術や体力を兼ね備えた人でなければ難しいことも多い。しかし、トレッキングなら誰でも気軽に山を楽しむことができる


な~は行
能vs狂言
平安時代、日本には猿楽という芸能があった。こっけいな物まねや漫才や漫談のような言葉芸である。 この猿楽が、現代の「能」と「狂言」のルーツ。鎌倉時代に枝分かれし、能は室町時代に登場した観阿弥・世阿弥によって、能面をつけて舞う厳粛な現代の能の型ができ上がることになる。 それに対し、猿楽の笑いの部分をテーマとして発展してきたのが狂言である。 こちらも完成は室町時代のことだ。 能は古典的題材を取り上げて余情を第一とする歌舞劇なのに対し、狂言はあくまで庶民的で、日常的な出来事を笑いを通して表現するせりふ劇。両者は同じルーツを持ちながら、まったく正反対の色合いを濃くして成長してきたのである。 能楽というのは、能と狂言を総称した言葉である。能と狂言を演じることができる舞台が能楽堂と呼ばれる。

パスポートvsビザ
海外に行くには、当然「パスポート」が必要だし、観光以外の渡航では「ビザ」も必要となる。渡航先によっては、観光目的で訪れるのにもピザが必要な国もある。 「パスポートだけでもよさそうなのに」と思うかもしれないが、じつはパスポートとビザはまったく別ものである。 パスポートは、それぞれの国が自国の国籍保持者に対して交付する一種の身分証明だ。これに対し、ビザは、自国を訪れようとしている人の入国を容認する意味で外国人に対して発行されるものである。 だから、たとえば日本のビジネスマンが仕事で数年間アメリカに滞在する場合なら、日本政府発行のパスポートと、アメリカ政府発行のピザが必要となるわけだ。 ただし、短期の観光旅行などの場合、ビザ相互免除取極国間なら、ピザがなくても旅行できる。 日本はこれに加盟しているので、他の相互免除取極国で短期の観光旅行をするときには、ビザは必要ない。

ピクニックvsハイキング
「ハイキング」とはもともとはイギリス南西部の方言で、テクテク歩くという意味のhikeから生まれた言葉。つまりハイキングは、歩くことが目的であり、自然を楽しみながら野山を歩くことをいう。 それに対して「ピクニック」の語源はまったく違う。「みんなで食べ物を持ち寄って集まるパーティ」だとか「アメリカ人がハムを持参して散歩に出かけたのがピクニックと呼ばれるようになった」などという説がある。 つまりメインは食事。郊外や野外で食事をしたり遊んだりして楽しむのがピクニックなのである。

ファスナーVSチャック
「ファスナー」のことを、「チャック」という人は多い。じつはファスナーもチャックも同じものを指す語だが、「ファスナー」は国際的に通用するが、「チャック」は日本でしか通用しない。 ファスナーの起源は、1891年、ホイットコム・ジャドソンというアメリカ人が、靴紐を結ぶのを不便に感じ、その解決のために考案したことに始まるといわれる。 「ファスナー」の語源は英語の「fasten(締める)」だが、現在、英語で「ファスナー」といえば、ネジなども含めて締めつけるもの全般を指す。 ファスナーそのものを指すには「スライドファスナー」といわなければならない。 一方の「チャック」という名称は、1927(昭和2)年に広島県で発売された「チャック印」のトレードマークで売り出したファスナーに由来する。 「チャック」は、英語とはまったく関係なく、きんちゃく袋の「ちゃく」をもじったネーミングだ。 このチャック印が丈夫でこわれにくかったので、日本で一般名詞化したのである。

フットサルvsサッカー
Jリーグというプロサッカー人気が定着して、見るだけでなく自分もプレーしたいという人たちに注目されたのが「フットサル」だ。かつてはミニサッカー、サロンフットボールなどと呼ばれていたものだが、1994年にFIFAがフットサルと命名し、統一ルールも作られた。フットサルはフットボールと、スペイン語で室内を表すsalaを合成してできた言葉である。 イギリスでフットボール協会が生まれて統一ルールのもとに「サッカー」の試合が行われるようになる前までも、手を使わず足でボールを蹴って点取りゲームをするというスポーツは、各国でいろいろな形で行われていた。そのため、サッカー誕生後もそれまでの流れの続きで、コンパクト化されたフットボールは続けられていた。これがフットサルに結実したと考えればいい。 フットサルは1チーム5人でプレーするから、普通のサッカーの1チーム分11人がいればゲームができる。コートの広さも、サッカーなら68×105メートル必要なところ、フットサルは2O×40メートルと小さくてすむ。 使うボールも、本式のサッカーは5号球なのに比べ、フットサルでは4号球ローバウンドタイプだ。ルールの最大の違いは、フットサルにはオフサイドのないことである。 このように手軽にチャレンジできるところに、フットサルの人気の秘密があるようだ。

プラチナVSホワイトゴールド
ジュエリーショップでジュエリーを眺めていると、「プラチナ」のそばに「ホワイトゴールド」というのもある。 この二つの貴金属がややこしいのは、そもそも「プラチナ」を「白金」と訳したためだろう。白金などというと金の一種のような語感だが、プラチナは金とはまったく別もの。南アフリカやロシアのウラル地方やカナダなどで産する稀少な貴金属で、白い光沢をもっている。酸・アルカリ・汗・熱のいずれにも強い。 これに対して、ホワイトゴールドは、金に白っぽい金属を加えて堅くした合金である。 たとえば18金のホワイトゴールドなら、金75%に銀15%前後とニッケル10%前後を加えるか、または、ニッケルの代わりにパラジウムを用いている。 プラチナもホワイトゴールドも純金より白っぽいが、ホワイトゴールドのほうがやや黄色っぽい。そのため国産のホワイトゴールドのジュエリーは、たいていロジウムメッキ(通常のメツキよりも変色が少なく、豪華な輝きが出る)をかけて、プラチナのような色合に加工している。

プロパンガスVS都市ガス
「都市ガス」は道路に埋められた導管を通じて供給されるのに対し、「プロパンガス」はボンベから供給される。これくらいの違いならほとんどの人が知っているだろう。しかし、都市ガスとプロパンガスは、供給の方法だけでなく、中身のガスが大きく異なる。 都市ガスのほとんどは、空気より軽いメタンなどの天然ガス。漏れた場合は、 空気中に拡散しやすい。 また都市ガスは、発熱量、比重、燃焼速度などによって全国で13種類にグループ分けされている。 そのため、引越し先で同じガス機器が使えないことがある。 これに対し、LPガスとも呼ばれるプロパンガスは、空気より重く、都市ガスに比べて燃焼効率も高い。漏れた場合は床に滞留するので、ほうきなどで掃くようにして換気すること。漏れたらすぐわかるように、もともと無色無臭の気体に人工的に臭いがつけられている。 また、プロパンガスは全国どこでも同じ種類なので、引っ越しても器具を買い替える必要はない。

へアカラーVSへアマニキュア
髪をカラーリングしたいと思って美容院に行くと、「へアカラー」と「へアマニキュア」があって迷ってしまう。 へアカラーは、永久染色剤に分類され、色が3カ月ほど持続する。アルカリ性の液で髪の表面のキューティクルと呼ばれる部分を開き、過酸化水素などを髪の内部に浸透させ、メラニン色素を分解して髪の色を変えるのだ。そのため発色がよくて長持ちである。 そのかわり、へアカラーには、繰り返し使っているうちに髪の表面のキューティクルがはがれ、髪が傷んでくるという欠点がある。 この欠点は、「へアマニキュア」には少ない。へアマニキュアは、キューテイクルを開かず、メラニン色素を分解せずに染料を浸透・吸着させるので、髪が傷みにくいのだ。 ただしへアマニキュアは、黒髪には色がつきにくく、色は1カ月ほどしかもたない。 両者は一長一短なのだ。

暴行vs傷害
「暴行」と「傷害」、この一見同じように思える両者には、じつは大きな違いがある。 暴行というのは、人の身体に対して、その人が普通に行動するのを妨げたり、危害を加えようとしたりするすべての攻撃方法。その結果、相手に怪我を負わせれば傷害となる。 たとえば、居酒屋で友人と飲んでいて口論となり、カッとなったA君がB君に対してビールを浴びせかけたとする。これは暴行だ。 それでも気持ちが収まらなかったA君は、さらにB君を殴ってしまい、B君は唇を切って血を流した。こうなると、傷害である。 つまり、相手に危害は加えたけれど、怪我をさせなかったならば暴行、怪我をさせたら傷害。結局、傷害というのは暴行をしたことによって相手に怪我を負わせることであり、暴行罪より当然罪は重い。

盆栽vs鉢植え
植木鉢に植えられた植物を手入れしたり観賞したりするところは同じだが、「盆栽」と「鉢植え」では、その方法も目的もまるで異なる。 鉢植えは、現在のガーデニングに代表されるように、花や草木を植え、庭やテラスを彩って生活の潤いとする場合に使われる。それは家を中心にして鉢植えを置く場所や並べ方、色の取り合わせなど、全体のバランスを観賞する総体的な存在である。そのため、寄せ植えをしたり、季節ごとに植え替えをしたりという作業も行われる。 しかし盆栽は、その鉢の樹木の姿が示す自然の光景そのものを観賞するものである。重要なのは、鉢に植えた樹木を、長い年月をかけて育てながら枝を整えたり葉を落としたりしながら、樹木の命を長く保たせること。樹齢100年の盆栽などは当たり前、500年といった価値の高いものもある。


ま~や行
舞妓vs芸妓
日本の伝統都市・京都における花街での女性接客業者の呼称というと堅苦しくなるが、要するに男性がお茶屋遊びをするとき、お座敷で酒の相手をしたり芸を披露して楽しませることを職業とする女性たちのことだ。 この職業のプロを「芸妓」というが、では「舞妓」との違いは何だろうか? じつは、芸妓になる前の見習い期間を舞妓と呼ぶのである。だいたい16~20歳くらいまでの若い女性だ。舞妓は、前段階の「仕込みさん」を半年から一年は経験しているので、行儀作法などは身につけているが、舞や三味線、お囃子などの芸をこの期間に本格的に修業する。 観光名物にまでなっている舞妓は、その衣装が、だらりの帯におこぽと呼ばれるぽっくり下駄などに特徴があり、着物も、まだ子供であることを示す肩上げや裾上げをつけたまま。髪は地毛で割れしのぶやおふくに結う。 そして、いよいよ一人前の芸妓として独立できることになると行われるのが襟替え。髪の毛の留は島田結いになり、自毛は切ってかつらにかわる。着物も大人の盛装に帯は太鼓結びになるのだ。芸妓の年齢は無制限である。 ただ最近は、お茶屋もお茶屋遊びをする人も減ってきて芸妓の数も最盛期の4分の1ほどになっているという。お座敷での仕事よりもパーティやイベントへ招かれることが増えて、芸妓の芸の披露の場が減ってきているようだ。

マネvsモネ
どちらも19世紀後半のパリを彩った画家で、名前の似ている「マネ」と「モネ」は、日本ではどうしても混同されがちだ。モネのほうは睡蓮を描き続けた画家として知られているが、画家としての世間への登場は、マネのほうが先である。 マネは、その頃主流だった写実派に強く影響を受けて画家の道に入っている。 しかし市井の人々の暮らしや都会の片隅に生きる娼婦などを描いたため、下品だと非難されてしまう。それでもマネの作品は、次第にその革新性が認められるようになっていく。このように、マネは絵画界におけるニューウエーブをつくった人物といっていい。 マネのもとに集った若い画家たちは、改革を念頭に新しい独立展を目指すのだがそのなかにいたひとりが「モネ」だった。この展覧会が、いわゆる印象派の始まりとされており、モネがそれを代表する画家となっていくのだ。 ただ、モネと出会う以前のマネは、モネに対して「自分の名前を真似して売り出そうとしている」と不快感を表していたという。

右手を上げている猫VS左手を上げている猫
昔から縁起物として親しまれてきた招き猫には、「右手を上げている猫」も「左手を上げている猫」もある。 じつは、上げている手が右か左かによって、招く対象に違いがある。 右手を上げている招き猫は、「福」「幸運」「お金」を招くといわれている。 だから、一般家庭にある招き猫はたいてい右手を上げている。これに対して、商店にある招き猫は左手を上げているものが多く、右手に「千客万来」などと書かれた小判を持っている。こちらは、「客」を招く猫だ。 また、花街に左手を上げた招き猫がよく置かれていたためか、左手を上げた招き猫はメスで、右手を上げた招き猫はオスだという逸話もある。

民事事件vs刑事事件
裁判についての報道や、法廷が登場するテレビドラマなどを見ていると、「民事事件」「刑事事件」という言葉を耳にすることがある。訴訟は大きくこの二つに分けられるのだ。 このうち刑事事件は、国民の自由や権利を犯罪者の侵害から守るために制定された「刑法」に基づいて裁かれる。犯罪が起こって被疑者が逮捕されたのち、その被疑者に国家が罪を問う裁判である。刑事事件は、犯罪が関係しているから、当然、警察が介入する。 だが、民事事件は、借金の返済請求や離婚訴訟、損害賠償請求など、「民法」に基づいて人と人とが自分の権利を主張して争う裁判である。犯罪は関係しないため、警察は介入しない。この点が刑事事件と大きく異なるのだ。

友情出演vs特別出演
映画やドラマを見ていると、クレジットに「特別出演」とか「友情出演」と出てくることがある。これらはどんな場合に表記されるものなのだろうか。 特別出演とは、かなりのベテランや格上の俳優が、ちょっとした役で出たような場合に使う。「特別出演」と示すことで、短い時間しか出ていなくても、すごい人なのだと印象づけることができる。引退したかつての有名人が、特別に出演するような場合にも使われる。一方で友情出演とは、その名のとおり友情がらみで俳優が出演してくれる場合に使う。映画やドラマの監督やプロデューサー、主演俳優などにお世話になったことがあるから、とても親しいからといった理由で、応援する形で出演してもらうものだ。 友情出演はあくまで応援なので、基本的にギャラはかなり安め。中にはノーギャラで出演する場合もあるといわれている。

幼稚園VS保育園
小学校入学前の小さな子供には、「幼稚園」に通っている子もいれば、「保育園」に通っている子もいる。幼稚園でも保育園でも変わりないと思っている人もいるかもしれないが、この二つは、目的も管轄官庁も入園対象者も大きく違っている。 保育園は、親が仕事や介護などで子供を保育できない場合などに、社会福祉の立場から子供を保育してくれる施設であり、厚生労働省が管轄している。 これに対して幼稚園は、学校教育法にもとづいた学校のひとつで、文部科学省の管轄だ。保育園と違って、保育だけでなく、教育も目的としている。 この目的の違いから、保育園は0歳児からが対象で、保育時間は原則8時間と長めだが、幼稚園に入れるのは満3歳からで、保育時間は標準で4時間と短めだ。


ら~わ行
力士vs関取
相撲のランクは、番付で表される。上位から、横綱・大関・関脇・小結・平幕までが幕内と呼ばれて、いわば1部リーグを形成する。その下に十両という2部リーグがあり、さらに幕下の3部リーグで場所興行が行われる。ここまでが「力士」と呼ばれるプロ選手というわけだ。もちろん、3部リーグの下に、幕下以下の選手もいる。彼らは力士養成員といった立場だ。 力士たちは場所ごとに幕内、十両、幕下の各リーグ内で取組を行い、勝ち星を挙げてランクを上げていくことになるわけだが、十両という2部リーグに上がった選手以上が、特別に「関取」と呼ばれている。 同じ相撲取りであっても、ただの力士と関取とでは大きく差がある。 まず誰にでも相撲取りとわかる頭の髭が違う。力士はただのちょんまげだが、関取になると大銀杏という特別のスタイルが許される。また力士に払われる給料も、関取になると月給になり、所属部屋では個室が与えられるなど、扱いには雲泥の差があるのだ。

ルネサンス様式vsバロック様式
建造物に限らず絵画や彫刻も、その時代の文化の影響で特徴を示すように、だいたいのところは、その建造物の建てられた時代がわかれば様式は判断できる。ルネサンスもバロックも、イタリアに起こってヨーロッパじゅうに広まった文化。ルネサンスは15~16世紀、バロックは17~18世紀半ば頃まで続く。 ルネサンスは、文化全体が「復興」と指摘されるように、古代ギリシャ、ローマの再生を目指し、建造物は端正、秩序、安定を求めて円柱や余白が多用され、軽快感のある静的な印象が特徴だ。 バロックは、そのルネサンスへの反動が原動力となって起こったムーブメントだったといえる。ポルトガル語で「ゆがんだ真珠」という意味のパロコが語源になっているといわれ、楕円形をテーマにねじれや影が特徴となっている。 彫像などが豊富に装飾されて、重厚感のある華麗さや躍動感が表れた様式だ。

連帯保証人vs保証人
「保証人」や「連帯保証人」は、ともに借金や賃貸契約の際に必要になる。両者とも、契約者が返済できない場合、契約者に代わって返済しなければならない。ただし、連帯保証人のほうが立場は重く、契約者(債務者) とまったく同等の扱いになると考えていい。 これは、連帯保証人には、催告の抗弁権と検索の抗弁権が認められていないからだ。 催告の抗弁権とは、契約者に十分な取立て、支払請求をせずに保証人に返済を要求したときに、まずは契約者に支払を請求するように返済を拒否する権利である。検索の抗弁権とは、契約者に返済できる財産がある場合に、まずその財産から支払を請求するように返済を拒否する権利。両方の権利とも、通常の保証人には与えられているが、連帯保証人には与えられていない。 つまり、保証人が支払をしなければいけないのは契約者が自己破産したとか行方不明で連絡が取れず支払ができない場合だけだが、連帯保証人は契約者の返済が1日でも遅れれば、即座に返済が求められる場合がある。財産の差し押さえも同様だ。

レンタルVSリース
何かを借りるとなると、「レンタル」と「リース」の二つの方法がある。レンタルは、貸し出す物品を業者が在庫として抱え、不特定多数の客に月単位などで1年未満程度の短期間、比較的低価格で貸し出す。一つの物品を何人もの客に繰り返し貸すことによって、その物品の購入に要した費用を回収し、利益を上げるのだ。 もう一方のリースは、客の企業に代わってリース業者が機械などを購入し、おもに企業に賃貸し、一定期間にわたってリース料を受け取る。期間は3~6年程度の長期だが、1つの物品を1企業にだけリースするので、レンタルと違い、原則として途中解約はできない。貸し出す品は、レンタルと違い、新品であることが多い。


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