日本の古墳文化はローマ帝国、秦・漢帝国と十分わたりあえる文化

1.世界最大級の古墳が語っていること
私たちは、古墳を形に即して見てみればいいのです。
前方後円墳では、棺は前円の部分に置かれています。円の一番上、一番高いところです。
前方後円墳の山の頂は、エジプトのピラミッドの頂点を連想させます。山の頂上に棺を置くということが、日本人の御霊信仰を表しています。そしてこの前方後円墳は、濠に囲まれていました。仁徳天皇陵などは三重の濠がめぐらされていました。

この濠には橋がありません。橋がないということは、人々はそこに渡ることができません。そこが聖域だということを意味します。聖なるものがある、つまり神がいるということです。

古墳は、日本の神道の内実をよく表しています。死者の霊を神として祀るのは御霊信仰です。山をつくるのは自然信仰です。そこに棺が置かれるのは、その地域一帯を治める統治者、首長、君主ということになります。天皇への信仰、皇祖霊信仰がはじまっているのです。古墳とは、神道の結晶といっても過言ではありません。

世界最大級の墳墓である古墳をつくりあげた当時の人々の土木工事の技術は、これも世界レベルであったことは間違いありません。仁徳天皇陵は、大林組の試算によれば、これをつくるのに、一日2000人の人が働いて、約16年かかっただろうといわれています。

こうした大事業を成し遂げるためには、統一された政治権力・国家、統一された度量衡、人々の技術と組織力、人々に共通する精神・信仰が必要だったということはいうまでもありません。
それは数や規模、さらにはその質的な高さ(統一性・均質性)からいっても、十分、ローマ帝国や秦・漢帝国に匹敵するものであったといえるでしょう。

2. ローマ帝国は、ローマ風の神殿を支配下に置いた各地につくりましたが、それにも統一性があります。そして、ハドリアヌス帝の墓(サンタンジェロ)もローマに残っています。また、秦の始皇帝も墓をつくりました。そこからは一緒に埋葬された兵馬桶なども多数発見されています。しかし、ハドリァヌス帝の墓や始皇帝の墓、さらにはクフ王のピラミッドよりも、仁徳天皇陵のほうがその規模は大きいのです。

ローマ帝国、秦・漢帝国、日本(倭)。それぞれの国土の大きさから考えれば、日本の古墳の大きさは際立っているともいえます。さらに全国に前方後円墳を中心に多数の古墳が、均一性を保ちながらつくられているということを考えれば、日本の古墳文化は、ローマ帝国、秦・漢帝国と十分わたりあえる文化であったといえるでしょう。日本の古墳時代、古墳文化は、過小評価されてきたといわざるをえません。

文字がないということは、文化がないということではありません。当時、日本に暮らしていた人々は、さまざまなことを口承で伝える能力をもっていたのです。数字も度量衡も、すべて口承によって伝え合っていたのです。古墳に見られる形の統一性は、そのことを示しているのです。

文字による史料は、『古事記』、『日本書紀』まで存在しません。しかし、『古事記』や『日本書紀』は古墳についてはほとんど語っていません。しかし、これだけの古墳が残っているのに、語られていないということに、一つの意味があるのです。それは、「形」については、日本人は、それをあれこれ言葉にはしないということです。

まさに「形」だけの文化が、古墳文化なのです。その「形」が語りかけているものを、私たち日本人が読み取ることは、実はそれほど難しいことではありません。







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