マルコポーロの「東方見聞録」にある黄金の島ジパング

「ジパングは東の方、大陸から1500マイルの公海中にある島である。しかも、まことに大きな島である。住民は色白で、感勲、優雅な偶像教徒である。ここは独立国で、彼ら自身の君主をいただいて、どこの国の君主からも制圧を受けていない。

莫大な量の黄金があるが、この島では非常に豊かに産するのである。それに大陸からは、商人さえもこの島へこないので、黄金を国外に持ち出す者もいない。いま話したように、大量の黄金のあるのもそのためである。

また、この島にある君主の宮殿の、その偉観について話をしよう。この君主は、すべて純金で覆われた、非常に大きな宮殿を持っている。われわれが家や教会の屋根を鉛板でふくように、この国では宮殿の屋根を全部純金でふいている。その価値は、とても数量で計り得ない。

さらに、たくさんある部屋は、これまた床を指二本の厚みのある純金で敷きつめている。このほか広間や窓も、同じようにことごとく金で飾りたてられている。実際、この宮殿の計り知れぬ豪華さは、いかに説明しても想像の域を脱したものである。

真珠も、美しいバラ色の、しかも円くて大きな真珠がたくさんとれる。これは、白い真珠と同じように高価なものである。実際はもっと値打がある。この島では、人が死ぬと土葬にする場合もあれば、火葬にする場合もある。土葬にするときは、死んだ人の口の中に真珠を1つ入れる。これはこの島の風習である。真珠のほかにも、いろいろな宝石を豊富に産出する。その富を語りつくせぬほど、まことに豊かな島である。

さて、この莫大な財宝について耳にした大汗、すなわちいまの皇帝クビライは、この島を征服しようと思いたった。そこで、二人の貴族に、大船団と、騎兵、歩兵の大軍とをさずけて派遣した。二人の貴族というのは、アバカンとウォンサニチンだった。二人ともまことに有能で、しかも勇敢な人物だった。

さて、こうして全軍、ザイトゥンとキンサイから出帆し、海に出た。航海はつづき、やがてこの島に着いた。そして、上陸し、多くの平野や部落を占領したが、まだひとつの都会も、ひとつの町の奪取にも成功しないうちに、これから話すような、災難がふりかかってきた。

それは、二人の貴族が互いに激しく嫉妬し合って、どちらも、なんとしても助け合おうとしなかったからである。ある日のことだった。北風が猛烈に吹き出して、その激しさは、侵入者の弁によれば、島を離れなかったなら、彼らの船は一隻残らず難破してしまうほどだった。

そこで、一兵も残さずに乗船し、島を離れて、海上に出た。ところが、4マイルと航行しないうちに、風はさらに激しく吹きはじめてきた。そして、彼らの船が非常にたくさんだったために、互いに衝突し合って、多くの船が難破した。ただ、分散して航行し、密集していなかった船だけが難破から免かれた。ちょうど近くに別の島があった、さほど大きくなかった

が。この島にたどりつけた者は助かった。しかも、かなり多くの人数で、少なくも3万人はいた。島にたどりつけなかった者は、ことごとく溺死してしまった。船も、激しい風に島の岸辺に打ちつけられて、たくさんの船が壊れてしまった。

激しい風も、荒れ狂う嵐もおさまると、二人の貴族は、海上にあって難破を免かれた船もたくさんあった。この島に引き返し、身分のある者、すなわち、百人長、千人長、一万人長をみな船に収容した。そのほかの兵隊までは、非常に数が多かったので、とても収容しきれなかった。

やがて船は島を離れ、故国に向って出島に残された連中はいま話したように非常に多かった。死んだも同然だと思った。そして、すっかり絶望してしまった。一体どうやったらこの島を離れて安全なに行けるか、彼らには判らなかった。

彼らは、あの大嵐を無事に切り抜けた船が、彼らには一顧も与えずに故国に向って出帆して行くのを見ていた。二人の貴族はこうやって帰ってしまった。兵士のことは少しも考えずに、まっすぐ故国へ航海をつづけて行ったのである。マルコ・ポーロ「東方見聞録」抜粋

おそらく、平泉の金色堂のイメージが、中国人に伝わっていたのでしょう。純金で屋根も床もつくられているわけではなく、木造に金箔を張っているだけのことですが、日本の仏像も同じように金色に輝いており、彼らに強烈な印象を与えたのでしょう。

いずれにせよ、このマルコポーロの「東方見聞録」ほど、金に飢えた西方の人々の血をわかせたものはありませんでした。モンゴルの二人の貴族が激しく争ったと書かれていますが、利益を独占しようとして争ったのでしょう。しかし、いずれにしても失敗してしまいました。




トップメニュー


この記事を見た人は、一緒にこんな記事も読んでいます!


ナビ