日本のODAの特徴とは|日本の投資は見返りが少ない

日本のODAの特徴は、どのようなところにあるのだろうOECD (経済協力開発機構)のDAC (開発援助委員会)の他のメンバーが行っているODAと、日本のそれは4つの点で大きく異なっている。
日本の特徴は、
①贈与比率の低さ
②現在では変化しているが、経済インフラなどハードの支援比率の高さ
③これも変化はみられるがアジア中心
④ 「要請主義」と「自助努力」支援

この4点である。

① の贈与比率の低さだが、たしかに日本は22のDAC諸国の最下位の58・2%である(02年から03年)。オーストラリア、オーストリア、オランダなど7カ国が100%、ドイツ( 88・2%)、フランス( 88・1%)、スペイン( 80・6%)を除けばその他の諸国も、90%以上の贈与比率である。これが日本のODAの第一の特徴だ。

理由は簡単である。日本のODAは円借款、すなわち貸し付けの割合が高い。事業費でみると55%ほどになる。それに対して、無償は13%、技術協力は21%、残りは国際機関向けで10%だ。ドイツ、フランス、スペインは、貸付部分をもつが、日本ほど比率は高くはない。もちろん、円借款の条件はOECDの基準であるGE25%を大きく超え72.9%と、フランス、ドイツよりもはるかに途上国に有利である。

なぜ、日本の援助では貸し付けの比率が高くなったのだろう。その理由を歴史から見てみよう。
現在ODAの対象国の多くは、第2次世界大戦後、植民地支配から逃れ、新たな国づくりに向けて再出発を始めていた。資金需要は旺盛であったが、その資金はない。 一方、いち早く経済復興を遂げた日本や西ドイツは、自国再建のためにも、輸出市場の拡大が必要であり、低利融資を始めることになった。贈与の財源が乏しい日本にとっても貸し付けは好ましかった。

現在では規模を縮小した米国、英国も、1950年代後半には、低利の貸し付けを行っていた。日本の場合、アジア諸国に対する戦後賠償で、その道筋がつけられていたことが有利であった。まだ円借款専門の組織は存在しておらず、日本輸出入銀行経由であったが、1951年、インドに対して電力、船舶及びプラント設備を対象とする初めての円借款を供与している。以上が第一の特徴である。

② のハードの支援比率の高さとは、どういうことか。それは①の贈与比率の低さという特徴から、どうしても道路建設などハード中心の援助だったということだ。円借款比率が高く、その大半が道路や発電所といった案件であることを考えれば、そういわれてもやむをえない。しかし最近では、中国の内モンゴル自治区のフフホトの大気汚染改善のためのシステム整備や、フィリピン・マニラの上水道、北京の下水道などの例に見られるように、経済インフラとはいえない社会セクター向け円借款、環境案件が増加している。

ただし、援助の世界で、ハード中心は何も恥ずかしいことではない。後述するように、世界銀行もUNDPも、インフラ整備の意義を評価しつつある。実際には、技術協力がODA全体の3割を占めるにもかかわらず、日本の援助がハード中心のイメージをもたれやすいのは、ダムや空の工期は長く、人の目にもつきやすいからだろう。他方、国際機関が経済インフラ整備を再評価している理由は、最終的に、途上国の経済発展は、民間の投資を呼び込むことに成功しなくては難しく、それには、アクセス道路など交通網や発電、上下水道などがなにより必要と考えたからである。

③ のアジア中心とは何か。日本のODAの第三の特徴は中国、ASEANなど東アジアを重点としてきたことだ。日本がアジアに位置し、アジア・太平洋戦争で多大な被害を与えたという歴史的な経緯からも納得がいく。渡辺・三浦は世界銀行のODAの地域的配分を用いてその特徴を説明しているが、日本のこの地域向けが5割以上を占める一方、第2位のEUでさえ、アジア向けは15%にも満たない。もつとも、どの援助国も、地域的な偏りはある。歴史的、地理的、経済的によるものであり、米国は中南米、中東、北アフリカに、欧州はサブサハラアフリカに対する援助が多い。たしかに、アジアと日本の関係は他の地域と比べはるかに密接だ。日本のODAが、アジアに対する戦後賠償に始まったという特殊性もあるが、それだけではない。地域別長期滞在の日本人の数を見ると、2006年10月現在、アジアが北米を抜いて第1位、26万7000人に達している。やはり日本はアジアに位置しているのだ。

④の要請主義と自助努力支援とは次のようなことである。
日本の援助は途上国からの要請を待って行われるという、「おおらかさ」が、押し付けがましくないという意味で好評であった。しかし、そのことは、日本の援助が途上国に対して、どのように支援すべきかの開発計画がなくても可能な援助であり、日本の主体性に欠けるとの批判もあった。なぜ、そのようなことが可能であったのか。 一つは、あくまでODAは、相手国に対する支援であり、途上国自身が主体性を発揮すべきと考えていたこと。そして、1990年代半ばまでは、右肩上がりにODA予算が伸び、要請に基づき「小切手」を切ることは、さほど難しいことではなかったからである。

要請主義と並び自助努力もしばしば、日本の援助の特徴としてあげられる。2003年に改定されたODA大綱の方針でも、要請主義は、開発途上国の需要という方針に変えられたものの、自助努力は引き続き基本方針の第一にうたわれている。
渡辺・三浦によれば自助努力の概念には、第2次世界大戦後の日本の経済発展に対する自負が込められているという。



ODAは日本生存のためのインフラ巨費を投じている割には、あまり日本の国益に役立っていないという批判はしばしば聞く。日本の国連安全保障理事会の常任理事国入りに対して、ODAを長期にわたり供与してきたアジアもアフリカの国々も、積極的に支持してくれなかったではないかとの議論が一例だ。しかし、冷静に考えれば、ODAだけでこの問題が、日本の期待するように展開するわけではなく、国際社会全体の複雑な政治的力学が働いていることがわかる。中国はじめ5大国が、常任理事国の既得権をたやすく手放すわけはないからだ。

他方、ODAによる2国間関係の良好さを証明できる例もある。安保理の非常任理事国は10カ国で構成され、任期は2年。毎年、半数の5カ国ずつが改選され、連続しての再選はできない。日本は06年いっぱいまで務め、09年からの3度目の安保理入りを目指して、08年秋の選挙に立候補する。それは、当初予定されていたモンゴルが、アジア枠を譲ってくれたからである。モンゴルはODAの主要供与先であり、その効果といって差し支えない。よりわかりやすい例もある。イラクのサマワにおける自衛隊による人道復興支援が円滑に進んだ一つの理由は、1982年から84年にかけて、イラク中央病院はじめ13の病院に機材供与等を行ったことが人々に記憶されていたからだという。

より端的な例は、ラオスの紙幣に描かれた日本のODAによって作られたパクセー橋(通称ラオス・日本大橋)であろう。ここまでくると面映ゆくなる。日本は1960年代、世界銀行から巨額の資金を借り入れ、東海道新幹線などインフラ整備を進め、経済発展を遂げた。しかし人々が感謝の気持ちを、そんな形で表したなどとは聞いたことがないからだ。

以上のように、ODAを国際社会の期待に応えて進めることは、日本の発言権確保、影響力維持という意味でも、いや、日本が今後、国際社会で生存していく上において、必要な基盤としての役割を果たしているといえよう。


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