日本のODAは途上国の雇用創出や技術移転という点で優れている

日本はなぜ人道的な観点から、途上国協力を行わなければならないのだろう疑問に対する答えのまず第一は、途上国の貧困状況を考えれば、豊かな日本が支援するのは当然という人道主義の考え方だ。くどくどした説明は必要ないであろう。途上国の人々が、援助を必要としているのなら、豊かな先進国はモノや技術、資金で支援をするのは人として自然な行為ではないか。キリスト教をはじめとした宗教団体が、この考え方に基づき、貧しい人々を数多く救ってきた。

しかし、この考え方の前提となる貧しさの状況は、案外理解されていない。感染症の治療でも、途上国は不利だ。HIVウイルスの猛威は途上国を直撃し、発症してエイズ患者となった人口は世界で4000万人。そのうち約95%が途上国だといわれる。
衛生環境が悪く、医療体制も整っておらず、新薬の恩恵も受けられないことからすれば納得がいく。
翻って我々の生活はどのようなものだろうか。

日本全国、高速道路で覆われ、舗装していない幹線道路などは、はるか昔の話だ。今、途上国が必要とする経済インフラは、日本では過剰といわれるほどに整備された。少雨のために真夏の渇水は心配されるが、不衛生な水の心配はない。
明るいライトに照らされた24時間営業のコンビニは、貴重なエネルギーを使いながら、生活の「利便性」を提供している。さまざまな問題はあれ、医療保険も完備され、生活保護を受ければ医療費は無料だ。

こうした我々の生活が「恵まれすぎているのでは」という自省に対しては、「我々の努力で築き上げた富の結果だ。何も後ろ指を指されることはない」との反論が聞こえてきそうだ。しかし、待ってほしい。この豊かな生活は、自助努力もさることながら、戦後の復興の過程で米国の援助や、世界銀行の融資によって、つまり国際社会の協力もあって得られたものなのだ。毎年、2兆円の援助を日本は受けていたという指摘もある(田中均元外務審議官、NHKBS 「どうする日本のODA」2007年6月24日放送)。

短絡的で、感情的な議論は避けるべきだが、これを書きながら、このような我々の生活と、2005年にケニアの首都で目の当たりにした建設労働者の生活の、あまりの落差に愕然としたことを思い出した。賃金の安さのために、彼らは昼飯も抜かざるを得ないというのだ。話半分としても、われわれは日本の貧しさを相対化することに疎すぎやしないか。

重要なことは、途上国の人々のこうした困難な生活にどれほど敏感に反応できるかだが、途上国の厳しい状況を改善する一つの手段は、外国からの支援だ。こうした人道的観点からの援助の意義は、広く受け入れられているが、総論としては賛成でも、各論になると、なかなか一枚岩というわけにはいかない。国の財政に余裕がある場合は別だが、現状を考えれば、国内の社会福祉を優先すべきではないかとの主張がそれだ。

「金持ちはたくさんいるのだからNGOに寄付したり、個人ベースで援助を行えばよい。
しかし、国としては慎重にならざるを得ない」。
このような正論に、真正面から反論できないのが、人道主義の観点からの議論の欠点といえよう。

どんな分野に力を入れて協力するの
メッセージ性を念頭に、わかりやすい原則を 一般の人々に日本のODAが十分理解されていないのは、複雑な政策過程に加えて、どのような国々に、またどんな分野に力を入れて協力しようとしているのか、わかりやすく説明されていないからであろう。メッセージ性に欠けるのである。「ODA大綱」があるが、あまりに専門的にすぎる。そこで、DACの援助受取国(と地域)が所得別に四つに区分されていることを前提に次のように整理してみた。

①まず後発の開発途上国、これにはアフガニスタン、カンボジア等50カ国。
②次に低所得国としてベトナム、北朝鮮等8力国。
③それに、低中所得国として、インドネシア、パレスチナ等48カ国。
④さらには高中所得国としてトルコ、マレーシア等がある。

この所得に基づく四つの区分に、日本の援助が力を入れるべき点を掛け合わせ、DACリスト中の一番貧しい50カ国と次の18カ国に対して、「保健。医療」「初等教育」「地球環境」の3分野は一定比率を一階部分として基礎的支援を行う。それから、1人当たりGNIが826ドル以上の低中所得国48カ国に対しては、「地球環境」分野のODAを一定比率で基礎的支援として行う。

もちろん、以上3つのグループに分けられる 国々のうち、自助努力の結果、経済の成長がさらに期待できる国々に対しては、3分野以外の「農業」や「IT」などの各分野において支援を行い、3分野についても積み増しもあり得る。これらの3つのグループに加え、もっと所得が高いグループに対しても戦略的に重要である場合には支援をする。しかし、その場合も重点分野は「地球環境」とする。

地球環境は納税者の理解を得やすく、また、国際社会のニーズも高いという理由からである。もっとも、途上国の人々の福祉向上、経済発展には民間投資が不可欠であり、「呼び水」としてのインフラ整備を円借款を用いて行うことも弾力的に考えるべきだ。これら支援に際しては、「開発と環境の両立」「軍事的な予算を増やしているところには行わない」 などのODA四原則に照らし、精査し、見合わせることはあり得る。

貫して重要なのは地球環境分野である。経済的に台頭する中国に対しては、これらの原則とは別に考慮が必要である。2008年北京オリンピツク前に、新規の円借款停止が決まっているが、温暖化ガスの排出量では中国はすでに世界でトップクラスに位置する。 酸性雨はじめ環境問題が日本にも影響を与えていることを考えれば、また、良好な日中関係の将来を考えれば、環境案件については、特別に円借款を継続するべきであろう。中国は円借款借り入れの優等国として、金利をつけて返済を進めてきた。

他の公的資金を使ってもよい。代わりに、今後も継続される予定の無償資金協力こそ中止すべきであろう。 国づくりの原点である初等教育、とりわけ小学校の建設など、日本が支援する理由は、どこにもないと思うのだが。 以上のように日本のODAは、改善の余地は多々あるが、メディアの報道をはじめ、一般の人々がもつイメージよりは、成果もあがっている。改革努力も国別援助計画、現地ODAタスクフォース(援助国における日本の大使館を中心とした、実施機関等を構成員とするODAに関する組織)等行われてきた。しかし、肝心の人々にとり、わかりやすい援助の原則が明らかにされていない。納税者に対してさらに支援を求めるのであれば、実態は現在行われている支援内容と大きく変わらないとしても、説明の方法という点で、大幅な見直しが必要である。メディアの時代ということを忘れてはならない。

ODAの比較優位
国際協力という点で日本のODAには「比較優位」がある。まず、国際的な比較優位だ。 50年以上の歴史と地域的広がり、さらに量的蓄積である。自助努力があったとはいえ、アジアの経済発展の基盤整備に、日本のODAが果たした役割は大きく、その点は説明を要しないであろう。同時期のアフリカに対する欧米の支援と比べると、その成果の違いは明らかだ。同時に、援助の方法でも、比較優位がある。日本のODAは、途上国の雇用創出、技術移転という点で優れている。活発に展開されている中国の援助は、中国人労働者を使っており、基本的に現地の雇用は創出しない。

しかし、日本の無償資金協力で作られたバングラデシュのメグナ橋では現地の労働者が参加している。また、大林組から技術を習得した現地労働者が、シンガポールはじめ他の大林組の案件に参加してい る。ラオスでも、ガーナなどでも、その点に関する中国への不満を聞いた。 ODAと国内の他の手段による国際協力とは、どのような関係にあるのだろうか。

国際協力の手段を持つまでには、長い時間を要した。自衛隊、警察の協力が、海外で本格的に行われる法的整備が整ったのは、1992年6月の湾岸戦争後の国際平和協力法(PKO法) である。それまで日本の国際協力といえば、ODAとNGOをはじめとする民間の活動が中心だった。 その自衛隊だが、1992年にカンボジアに1200人の自衛隊・警察が国連平和維持活動(国連PKO)に派遣され協力の実績をあげたが、それ以降は残念なことに積極的に参加しているとは言いがたい。

2001年の9・11以降、テロ対策特別措置法、イラク人道復興支援特別措置法に基づき自衛隊が派遣されたが、国連PKOに参加したのはシリアとイスラエルの間に展開しているゴラン高原と、07年からは警察官2名が東ティモールに、さらにネパールに自衛官が3名、計3カ所のみである。国連への協力には、消極的な印象を受ける。他方、中国も始まりは日本と同じカンボジアだが、現在、国連PKOには全21カ所(2007年8月現在)のうち、12カ所、韓国は8カ所に参加している。

もっとも、PKOに積極的であれば、ODAに消極的でよいということにはならない。 PKOは、停戦後の状況を現状のまま固定化するというのが第一の目標であり、途上国の福祉向上、経済的離陸を促す開発には直接つながらない。停戦、和解、復興という平和構築の流れを考えてみても、軍事部門は早晩、本格的な国づくりのために、ODAにバトンタッチしなければならない。自衛隊の協力はその意味でも、ODAとトレードオフ(一方を追求すると他方が犠牲になる)の関係ではない。


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