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日本の声かけ文化は他国にはなく元気を与えて犯罪抑止にもなっている

1.声かけ文化
人を見つめると何かが見えてくる。それは、その人が何を求めているのか、何を訴えようとしているのかという意図のときもあれば、内面から滲み出る叫びのときもあると思います。

混雑した駅で途方にくれる老人を見かけた若い女性が、そっと顔を覗き込み、「どうかしましたか?大丈夫ですか?」と聞き入る光景こそが日本人の生き方を象徴していると思います。

そんなことは、アメリカの大都会では絶対に起こらないと言います。なぜなら、個人主義は周りに関知しない、されないことがベースだからです。関わらないことは自由だけど寂しい気もします。

安否を気遣う、人を案ずるという気持ちを動作で表したのが声をかける、情けをかけるという人間付き合いの手段です。日本人は抜群にそのスキル(技)に優れている民族でもあります。ただ最近ではそんな光景を見る機会も少なくなっている気もします。

自分の一部を相手に差し出して関わる日本人の心意気が備わっています。 不思議なことに、若い頃は干渉されない生き方を好む人間も、年を重ねるにつれて関わりが恋しくなるものです。

失意の渦中にある人に声をかけて励まし、自分にできることをできる時にすることで情けをかける。それを、隣近所、仲間うち、地域社会、そして国家レベルで、それも震災などの悲惨な状況下でも、当たり前のようにできる日本人の生き方は、世界中から絶賛されています。

日本の声かけ文化の最たるものといえば、レストランの「いらっしゃいませ!」という景気のいい掛け声でしょう。

ロサンゼルスの日本食レストランでは、人種の坩堝を浮き彫りにするかのように、アメリカ人やメキシコ人の従業員が多く、たどたどしい日本語で「イラシャイマセ!」と元気「ハウメニー?(何人?)」という少々不膜なアメリカの外食文化の挨拶とは打って変わって、客の来店を告げると同時に、感謝の意を表する声かけは、かけられた人も、かけた人も活気と生気がもらえる元気の源です。

声かけの習慣は、マーケットや銀行、郵便局など、顧客の要望が多様化している場所でさえも当然のように行われています。その効果は、海外で暮らして初めて分かるありがた味でもあります。

巨大スーパーで欲しい商品を探している最中、「何をお探しでしょうか?」と従業員に尋ねられたり、銀行や郵便局に足を踏み入れたと同時に、「ご用件は?」、「あっ、それでしたら3番窓口へどうぞ」などと丁寧に案内された経験は、日本人なら当たり前の感覚。数少ない従業員をやっとの思いで探し当て、希望の商品の陳列場所を聞くと「多分、5番辺りの列だと思うわ」と真顔で返事される場面は、海外のマーケットでは普通です。

「銀行や郵便局では、誰もが長蛇の列に並んで、喋るのが損のような顔つきの窓口係に対応される順番を待つのがアメリカ。それも、強盗防止の防弾ガラス越しにだから、なんとなく物々しくて落ち着かない。日本の待たせない文化には、本当に心打たれるものがあります。 日本人とアメリカ人では、顧客サービスのレベルが圧倒的にちがうのだ。銀行強盗などめったにない日本だが、声をかけるということが犯罪の予防になっていることはあまり知られていません。

声をかけるという文化は、周囲を元気づけ、勇気づけ、安心させ、癒してくれる、日本人の生き方の音色でもあるのです。






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