アジアの中の日本のシステムは他国と比べて何かが違う

1.現地の風土・習慣に目を向けない「上から目線」
日本企業の海外進出は依然活発で、その主な進出先がアジアの国々です。従来国内で行ってきた事業をアジアに移すことで、グローバルな競争力を強化するとともに、拡大するアジア市場を取り込もうとする動きです。

その流れの中で、アジア各地に転勤して働く日本人はさらに増えていくと思われる。転勤先の新しい職場は、ほとんどが新興国になる。そこは気候風土が違い、人々の価値観や文化、習慣も違う。日本語が通じるケースは少ないから、コミュニケーションもままならない。

日本でやるようには円滑にコトは運ばない。悩みを相談する相手も限られる。日本の本社からは、現地の事情を無視するかのような、無理難題が押し付けられる。そのような職場環境の中で、ストレスをためる日本人は多い。

ストレスのはけ口は、職場で働く現地の人に向かいやすい。現地の職員は、日本人とは違った意見や行動スタイルを持つ場合が多い。思いどおりにいかない現地職員との接触の中で、さらにストレスは高じてゆく。

アジアに赴任する日本人は、経営手法や技術などを現地に移植する任務が多いので、接する態度が上から目線となりやすい。自分の意思と反する行為をする人たちに対して、抑圧的、強制的なスタイルで接してしまう例もしばしば耳にする。

やると言ったはずなのに、いつまでたってもやらない。率直に非を認めず、言い訳に終始する。時間の約束を守らない。何かと理由をつけて会社を休む。向上心が感じられない。意見を求めても反応が鈍い。働かないわりには、要求ばかり多い。

これらは、アジアの職場で働く日本人たちからよく聞いた、現地の職員への不満を述べた言葉である。現地職員を他の職員たちのいる前で怒鳴りつけて、トラブルになったという話も聞いた。 管理職の立場に立つことの多いアジアの職場で、日本人は居丈高になっていないか。相手の異論を遮って、「日本のやり方に黙って従え」といった強圧的態度をとっていないか。

いつもは謙虚と評価される日本人ではあるが、相手によって上から目線人間に変身していないか。日本人が注意したほうがよい態度だと思う。 気候風土や歴史文化、さらに生活習慣の違う土地に、日本流をそのまま押し付けようとする。その土地の環境の中から生まれたそれなりの合理性を無視して、日本という土地の環境に生まれた特殊な合理性を押し付けようとする。


日本が他のアジアと、共有する(あるいは似ている)部分とは何か。 コメ作りを中心とした農業村落共同体的な特徴が、アジアの社会広範に色濃く反映されている。日本も当然、その領域に含まれる。

この地域に共通するものは、家族や共同体の相互扶助、和を大切にする精神、長いものには巻かれて逆らわないかわりに、強者や集団に依存するところなどだ。自立した個人主義を尊ぶ欧米社会とは、かなり様相が違う。

広大なアジアには、多様な気候風土が含まれる。農業の手法も、粗放的であったり、集約的であったり、綴密であったりと、それぞれの気候風土に応じて多様になる。そのぶん農業生産に携わる共同体の縛りや管理度合いにも強弱が生じる。集団の規模や構成要素、内部の緊密性、集団内外の相互依存度などには、それぞれの差異がある。それらの違いが、その土地の社会システムや人々の価値観、行動様式などに波及していると思う。

めまぐるしい四季の変化に応じ、細心の対応を確立してきた農業生産システム。それに影響されたと思える日本の社会システムは、そのぶん綴密にできていて、それと比べる他のアジア的システムに、緩さを感じることがよくある。日本人は自国流がベストと思っていても、それは日本的な環境の中であればという、条件付きのものと言わざるを得ない。

通底する基盤はあっても、多様な風土や環境を抱えるアジアには、それに応じた多様な社会システムが併存している。日本の社会システムはその中の一つだが、アジアの鏡には、「似ているけど何か違う」という、ぼやけた日本のイメージが映るのではないだろうか。


アジア各国を引っ張るエリートたちの多くは、日本人以上に高い国際性を持ち合わせているかもしれない。日本の学生が欧米への留学に消極的だと指摘されている昨今だが、それに比較して、中国、インド、韓国など、他のアジア各国からの留学生が増え続けていることに、日本政府は憂慮している。

学年におけるアメリカの大学で学ぶ留学生の国別出身者の統計によれば、トップの中国人が留学生全体の21.8パーセント、続くインド人、韓国人がそれぞれ14.4パーセント、10.1パーセントを占め、日本は第7位で2.9パーセントにとどまっている。

流暢な英語を操り、欧米流の思考や振る舞いを身につけたアジア各国のエリートが、今後ますます増えてゆく。欧米流を身につけたアジア人エリートの主導するアジアは、欧米化がさらに進むのであろうか。

ことはそう単純ではないと思う。アジア人のエリートたちが、身も心もアジアから欧米の流儀に染まっているようには見えないからだ。表面上は欧米流をまとい、公的な場面ではその流儀を見事に貫いていても、元来持っている民族性はしっかりと維持し、それぞれの民族が誇る文化や習慣にこだわっているように見える。

インド人の中には、ITの先端技術を武器に世界を飛び回っている。生活の中では敬虔なヒンドヮー教徒として、日々自宅にある祭壇での礼拝や、週末の寺参り、長い休暇をとっての聖地巡礼に熱心だ。合理的なビジネスの世界に生きる一方で、幼いころから心に染み込んでいる神秘的な宗教の世界を熱く語る人でもある。

また、欧米の第一線で活躍していた中国人が、父親の展開する発展途上国の事業を手伝うため、恵まれた職場を惜しげもなく捨てるのを何度か見た。前職に比べではるかに条件の悪い職場環境でも、父親の命令とあればそれを絶対視して馳せ参じる。中国人社会の伝統に根付く、強い家父長の権限を目の当たりにした。

たとえ欧米の影響を受けても、アジア流がそこから消え去ることはないだろう。アジア流の一つを身につけている日本人としても、その部分にもっと誇りを持って露呈させればよいのではないか。グローバル化の名のもとに、身も心も欧米流に変えようといった努力は、少なくとも要らないと思う。

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