日本語の意味が多彩で言語表現の奥行きが深いので議論が苦手

1. 日本同一性の強いムラ集団の中においては互いに意思疎通を図ることが比較的容易であり、その和を乱すような強度の自己主張の必要性は薄いです。

日本では明確な断言は忌避され遠回りな表現が好まれてきました。日本語の持つ言語構造も、そうした基盤の上に確立されており、言語とは文化の在り方と分かち難く存在しているものなのです。

日本語の文法は主語を言わなくてもわかるように成り立っており、たとえば「好きです」という言い方にはIもyouも存在しません。主語も目的語もなく、あるのは動詞だけなのです。

主語-動詞-目的語という文型を基本とした言語を母国語とする人々からすると、 動詞だけで意味が通じるという日本語は、特異な言語に映るでしょう。逆に日本人からすれば、主語をわざわざ明確にしなくても、「誰が誰を好きなのかは状況や話の流れでわかるはず」ということになります。

前述の例だけではなく、一般的に日本語は主語がなくても通じるようにできています

それなのにわざわざ主語を冠することは、「自己主張が強くなり過ぎないか」という心配を生じさせることになり、このような心情は欧米人にはなかなか理解されません。

彼らからしてみれば、主語、主体を明確にして話すことはより論理的に話すために必要なことだし、相手の理解をより容易に促すために役立つことのはずだからであります。
わざわざ相手の理解度を弱めるよりは、ぼかした言葉を使うメリットが理解できません。

さらに、日本語では、一つの単語が多彩な意味や膨らみを持っていて、言語表現の奥行きが深いです。
例えば「けっこうです」など、肯定にも否定にも使われる独特の言い回しは、世界でも珍しい表現なのです。
もちろん、英語などの他の言語にも婉曲な言い回しは存在しますが、それでもそれは日本語に比べると相対的に少ないと言っていいでしょう。

欧米の言語のほうがより直接的で、自己表現も明確であり、悪く言えば「露骨」ということになりますが。

こういった感覚や態度のギャップは、日本人が他の国でしばしば誤解を招く原因となってしまうのです。

海外に留学している日本の学生が、教室での議論に積極的に参加せず、「黙ったまま、ただニコニコと笑っている」という風景は決して珍しくないと聞きます。

頑張って喋ってみても、結論を断言することが下手なので、「それで結局、この人は何を言いたいのだろう?」と首を傾けられてしまうことも多いのです。

また、ビジネスの場面でも、日本人の言い回しはつかみどころが乏しく、主張の要点がどこにあるのかわからないとたびたび指摘され、「日本人は言うことと思っていることが違う。何を考えているのかわからない」と評されることも多いです。

これらの原因は日本人の英語に自信のなさも関係していえますが、それを差し引いても欧米基準からみた日本人の自己主張の弱さは一つの国民的特徴といえるでしょう。議論や対立を好まず穏便に済ませようとするのが日本人の性質であり、それが欧米人には異質に感じるのだと思います。


2.日本人と違って欧米人の口が達者な理由とは
幼い頃から授業で「自分の意見を明確に述べること」をたたき込まれているからで、「議論する」「人を言い負かす」「人前で話す」のに慣れているためだ。日本人は自分の意見を理論立てて主張することに慣れていない。学校で訓練されていないからだ。
日本語ですらそれができないのに、英語でできるわけがない。日本にはこういった授業がないため、そもそも英語力以前に欧米に負けていることになる。日本にもし英語を話せる人、あるいは議論のしかたを教えられる人が少ないのであれば、外国からこれを教えられる人をたくさん雇えばいい。

中学や高校では、「ディベート」や「スピーチ」の科目をぜひ設けてほしい(アメリカでは幼稚園児でさえ、おぼつかない英語で談論をしている)。

英語での議論能力をおろそかにする英語教育は世界で損をする日本人を大量生産しているということを、文部科学省は肝に銘じてほしい。これと同時に、何より「英語が話せるようになるのが先決」ということを忘れないでほしい。


使い方が難しい日本語の辞書
普通の日本語の辞書の場合は、アルファベットではなく、五十音順になっていることが多いのですが、日本人にとってはごく自然な五十音順も、日本語の勉強を始めたばかりの外国人にとっては、非常に難しいのです。まずは「あいうえお」と「あかさたな」の順番が分からないと、五十音順で単語が並んでいる辞書が使いこなせない。ちなみに韓国語にも同じような独特な順番があるので、韓国語の辞書を使う場合も同様の問題に直面する。

和英辞典は、ローマ字で調べるものもある。日本人向けの辞書なのに、何故かローマ字で、ABC順だった。ちなみに現在主流なのは電子辞書。ローマ字入力でも平仮名入力でも、文字の配列キーを押すだけ。単語でも熟語でも、すぐに出てくる。 でも当時は、こんな便利なものはなかった。今の外国人にとっては、日本語が面白く楽に 勉強できる環境が整ってきたと言えるだろう。 国語辞典で言葉を調べて、書かれている説明がある程度理解できるようになると、急に 日本語が面白くなってくる。しかも文例が書いてあったりするので、実際に調べた単語を応用することができるのである。


料理に関して伝統の日本料理だけでなく、フランス料理、イタリア料理、中華料理とのフュージョン料理はもちろんのこと、果てはハンバーガーやホットドッグまでも和製バージョンにしてしまう変わり身の早さは、日本人には当たり前かもしれませんが、世界目線からすると、画期的なカメレオン文化なのです。「日本人は、人のアイデアをパクって、オリジナル以上を作る天才」といった言葉は、決して悪口ではなく賛辞であり、日本人が改めて誇りにするべき天賦の才能です。

一度に複数の要素を統合して斬新な結果を出す日本人頭脳は、日本語という特殊な言語のマルチタスク性によって磨かれたといっても過言ではありません。

というのは、御存じのように、日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字、そして外来語から成り立っています。ということは、26文字のアルファベットで構成される英語に比べると、数十倍の組み合わせの単語や熟語を駆使して読み書きを覚えるわけで、知らず知らずのうちにマルチタスク脳に育っているというわけです。

「ベッド」とか「キーワード」などの日本語になっている英語の表記はカタカナで、「べっど」「きーわーど」とは絶対に書きません。英語をはじめ、フランス語、スペイン語、ロシア語、イタリア語、ドイツ語、どれをとっても外国の単語を表現するための特別な言語を持っているのは日本語だけです。寿司はsushiと原語の発音表記で表現するのが万国共通。

カタカナだけでなく、中国伝来の漢字、「コンビニ」や「スマホ」など英語を省略した現代語を含めると、なんと4つの言語を同時に操る日本人の、マルチタスクな感性のすごさを感じずにはいられないです。

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