日本語の表現する言葉の生い立ちをひも解くと面白い│か行

かわいい
かわいい人形、かわいい女、猫をかわいがる娘。かわいいという言葉は、今は、「可愛い」と漢字をあてたりして広く使われている。しかし、秋田県には、「かわくて行かれない」などと、恥かしいという意味に使う所がある。そして、六、七百年前には、「かわいい」は、見るに耐えない、という意味だった。

兼好法師の「徒然草」には、酒飲みの様子を書いて、「大路をよろよろと歩いて行き、土塀や門の下などに向いて、口にも出せないことをしちらし、年老いて袈裟をかけた坊さんが、小坊主の肩をおさえて、わけの分らぬことを言いながらよろめいているのは、全くかわいい」と言っている。まともに見るに耐えないというのである。

「太平記」では「さてはよき敵や。ただし一打ちに打ちひしがむこそかわゆけれ」と使っている。ひと打ちで相手を打ちひしいでは、いたいたしいという意味である。

また、「三十になろうというのに、いまだ子供が無かったが、初めて子を持つこの嬉しさ。同じことなら男の子であってほしい」と言っていた、夫、平通盛を戦場で失った小宰相が、身重の体で、夫の後を追って入水する前の言葉に「たまたま人間の世に生をうけて来た小さい者に、月の光、日の光さえ見せず、その命を消えさせてしまうのもかわいい」と言っている。ここでは、かわいそうだという哀憐の気持が濃く表われている。

かわいいの古い形はカハユシである。カハユシは顔ハユシのつまった形であるという。
ハユシとは、照り映える感じだということ。つまり、顔がほてるようだというのが語源である。物を見て、顔がほてる気持だとは、物をまともに見るに耐えないのであり、相手をいたいたしく思い、かわいそうだと感じるようになって行く。

「かわいそうだたあ惚れたってことよ」という。かわいさが、あわれみを表現するようになると、それは恋慕の気持へ移って行く。「お前がかわいくて仕方がない」とは、離れ難い男と女の間の言葉になる。こういう意味の移り変りは、他にもある。「いとしい」もその一つである。


前の話にでて来た「る」「らる」という言葉は、いっそう古い時代には「る」「らる」という形ではなくて、「ゆ」「らゆ」という形であったらしい。
現在われわれが使う言葉の中に「聞える」というのがある。「鈴の音が聞える」といえば、鈴の音を耳に感じる、聞き取ることができるということ、つまり、「聞くことが可能だ」という意味になる。「聞えが悪い」というと、それは外聞が悪い、人に聞かれて具合がよくないという意味になる。その場合には「聞え」は受身を表わしている。

「見える」「冷える」「肥える」「殖える」「燃える」というような言葉が今日あるが、これは自然に目に入る、自然に冷たくなる、自然にふとる、自然に分裂して多くなる、自然に焔が立つという意味である。これらの言葉に共通な「える」という言葉は、自然にそうなるということを表わしている。「聞える」という言葉もこの一群の言葉の仲間である。自然に耳に入るというのがもとの意味で、自分のことについていうならば「音が聞える」とは、聞くことが可能だという意味にもなる。「世に聞えた人」といえば、おのずと世間の人の耳に入っている人、つまり、知られた人、有名な人の意味で、受身を表わすことになる。

今日では使わなくなってしまったけれども、平安時代などでは、申し上げるという意味で「きこゆ」が非常に多く使われた。「きこゆべきことあり」といえば、申し上げるべきことがあるという意味である。それは謙讓の表現ということになるだろう。

「聞える」は可能の意味でもあったし、また、受身をも表わしたのだが、それがどうして謙譲の表現になるか。「きこゆべきことあり」といった場合に、それは、聞かれたいことがあるということである。聞かれたいことがあるとは、相手を立てた言い方で、相手の耳に自然に入るようにしたいことがあるという意味である。直接聞かせることはできないのだけれども、自然に相手の耳に入るようなふうでありたいことがある、というのである。つまり、あなたの耳に自然に入るといいと思われることがあると表現して、自分が積極的に聞かせるのではないという形である。それが謙譲の表現になる。日本人は、自然を恐れ、自然に親しむという気持が強い。そこから、物事を「自然」にあずけることによって、敬意を表現すること、これまで見て来た通りである。

では、英語などでは、こういう場合にどんな表現をとるであろうか。英語やドイツ語などでは、相手に対する敬意の表現は、自然にそうなるという形や、あるいは、物を上から下へ賜わったり、下から上へ差し上げたり、するという形で表現することはなくて、むしろ、仮定表現によってそれを表わすようである。「もし、何々して下さるならば、私はたいへん幸いである」、「もし、こういうことを言ってよろしければ、私はこう言いたい」、「もし、こういうことができたならば、たいへんよいのだけれども」、「もし、何々ならば、こうしていいと思うのだが」といったように、絶えず仮定の表現でことを表わす。それが英語やドイツ語の尊敬表現の中心的な形式であるらしい。

もちろん、日本にも多少はそのような表現法がないではない。例えば、「行って下さいますか」というところを「行って下さいませんか」という言い方をする。つまり、これは「行って下さいませんか」と、否定表現にすることによって、相手がそれを拒否する可能性を考えていることを示すわけである。一般に、このような「行って下さいませんでしょうか」という否定表現を使う方が、「行って下さいますでしょうか」という形よりも尊敬の気持が濃いと受け取られていることは、国立国語研究所の尊敬語の調査によって明らかになっている。
つまり、直接にものを言う、ぶちっけにものを言うことが、相手に対して失礼になるので、それを椀曲に言えば、相手を重んずる気持のあらわれになる。これは、世界各国を通じて同じだということができるだろう。


きよし
「うつくしい」という言葉は、奈良時代には肉親的な愛情を表わし、また、平安時代には小さい者への可憐さ、あるいは可愛らしさを表わした。それでは、いったい、今日われわれが「美しい」と言っている美一般を表わす言葉は、奈良時代には何と言っただろうに、「おもしろし」も一つの美しさの形容だったが、それが、心楽しい意味に移り、音楽の楽しみ、人々と遊ぶおもしろさと使うように変って来た。

「うるはし」は端麗、壮麗ということで、美一般を言うものではなかったらしい。ところが、平安時代になると、「きよら」または「きよげ」という言葉が使われはじめる。
これはだいたい今日われわれのいう「美しい」に当る。「きよら」「きよげ」の源は「きよし」である。「きよし」という言葉は、奈良時代では、月や鏡のくもりのないことを言う。また、けがれのない名を「きよきその名」と言うように、「きよし」はけがれのないことを言う。水の流れ、浜辺の景色なども「きよし」と言う。万葉集に、言清くいたもな言ひそ一日だに君いし無くはたへがたきかも

という歌がある。「二人の間は何の関係もない、きれいさっぱりだと、胸にささることをおっしゃってくださいますな。たった一日でもあなたがおいでにならなければ、耐えがたく思う私なのです」という歌である。この場合、「こときよく」とは、きれいさっぱりな関係だということ、「きよく」は何もないという意味である。「きよき月」とは、なに一つ、くもりのない月であり、「きよき名」とは、すこしの汚れもない名である。とは、「空をおおっていた雲が晴れて、月がくっきりと照りつけている」というのである。単に曇りがないというのではなくて、むしろ冷たく切るように輝いているというところに、この「さやけし」の意味がある。
「さやけし」と似た、「さやに」という言葉もある。『万葉集』の防人の歌の中に、日の暮れに碓氷の坂を越ゆる日は背なのが袖もさやに振らしつ

という歌がある。「碓氷峠を越える日には、私の夫の袖も、くっきりと見えるようにお振りになった」という意味である。


この「きよし」と「さやけし」とが、「万葉集』の中で目立って数多く使われている。
「万葉集』の人々は、こうしたきょきもの、さやけきものに心を多く惹かれた。

しかし、この「きよし」という形容詞から、平安朝に入って「きよら」が作られ、また「きよげ」という形も作られ、多く使われたということに私は心を惹かれる。「きよら」と「きよげ」は、「源氏物語』で使われた数が多く、「きよげなり」は六十余例、「きよらなり」は百例近くもある。これらはすべて美しいという意味で、例えば光源氏が生まれてきたとき、「世になくきよらなる玉の男皇子さへ生まれたまひぬ」と書いているし、「きよげ」もまた、きよげなる童とか、いときよげに字を書くとか、広く使われている。


そして、平安朝という時代の一面を理解するのに役立ちそうな言葉の区別が、この「きよら」と「きよげ」の間に見出される。「きよら」とは、第一等の人物、例えば光源氏であるとか、紫上であるとか、あるいは桐壺帝であるとか、それらの人々に対して使われた。ところが頭中将とか、あるいは内大臣とか、その他二流の人物、あるいは、ある人物を二流として扱うときは、これを「きよげ」と表現している。つまり「きよら」は美しさのうちで、第一等の美しさを表わす言葉。「きよげ」は、見たところ「きよら」のようであるけれども、「きよら」そのものではなくて、見かけが「きよら」であるということ。

「きよげ」の「げ」は、「寒げ」「苦しげ」の「げ」で、見たところ、そんな様だという言葉であるから、「きよげ」は結局、第二等の美を表わした。「源氏物語」の時代は、生まれが何か、血統は何かということ、つまり第一級である皇室の出の人間か、それとも第二級というべき大臣、関白の家の出か、それともまた、もっと低い生まれかということが、非常に大きな関心事であった時代であった。そこで、形容詞の上にまでそうした第一級の美、第二級の美を区別する言葉を持っていた。

しかし、ともかくこの源氏時代に至って、ようやく確実に日本語は美一般を表わす言葉を持つようになったといってよいように思う。
「綺麗」は室町時代に、すでに「綺麗ずき」などと使われ、汚れのないこと、清潔なことの意味をもっていたが、今日では「美しい」に近く使われ、やがて「美しい」を追い美すわ出して、そのあとに坐りそうな気配を示している。してみると、美を表わす言葉は、クハシ(細)、キヨラ(清)、ウツクシ(細小)、キレイ(清潔)、と入れ代って来たことになる。日本人の美の意識は、善なるもの、豊かなるものに対してよりも、情なるもの、潔なるもの、細かなものと同調する傾向が強いらしい。これは中国では「美」が「羊」の「大」なるもの、「麗」が大きな角を二本つけた立派な「鹿」の意味から転じたことを思うと、日本語の大きな特色といえると思う。


くやしい
「くやしい」とは、現在、「口惜しい」と言いたりする。あたかも、残念さのために口をきくのも惜しいという気持を表現しているかのようである。しかし、「くやしい」と「くちをしい」とは、平安・鎌倉時代に、何百年もの間はっきりと使い分けられていた。
恋しい男が訪ねて来てくれたかと馬の足音に聞き耳を立てていると、その足音は通り過ぎてしまう。これは「くちをしい」ことである。昨日まで積っていた雪が、一晩のうちに思いもかけず消え去って、いまいましく、「くちをしい」。また、並びない琵琶の名器を盗人が台なしにしてしまって「くちをしい」。つまり、「源氏物語」「枕草子」「古今著聞集」などでは、期待に反し、予想にはずれ、心に描いていた大切なものが駄目になったとき、「くちをしい」という。「くちをしい」とは、口が惜しいのではなく、ものが朽ちるのが惜しい「朽ち惜し」が、その語源と思われる。

「平家物語」に、平重衡が捕えられ、奈良に連れて行かれて斬られる話がある。その前に、一度いとしい妻に逢いたいという。日野という所で対面する機会を作ってもらう。
そのときの言葉に「こんな風に生きたまま捕えられて、大路を引いてあるかされ、京都、鎌倉に恥をさらすだけでもくちをしい」と言っている。自分の意図に反してしまって残念だという意味である。やがて重衡は奈良に向って去って行く。そこで北の方は悲しみにたえず、泣きわめいて、かえって逢いに行かなければよかったと「今はくやしうぞ思はれける」とある。「くやしい」とは、しなければよかったと後悔されることである。「くちをし」は予期した像のこわれるのをなげき、「くやし」は過去の自分の行動をなげく。そこに大きな差があった。

室町時代の狂言になると、ゆえもない成敗をしたとあっては後難があろう、それでは「口惜しい」といっている。これも、予想外のことが起るといけないということだが、これを、残念だと置いても理解できる。こうしたところから、「くやしい」と「くち惜しい」とが次第に混同し始めるようになって来た。それで、今では、言葉は「くやしい」が残り、文字の上では「口惜しい」という字が残って、それを「くやしい」と読ませるようになった。




コワイ
今日オコワ(赤飯)という言葉に残っているが、コワイとは、かたく、つっぱっているというのがもとの意味だった。
「竹取物語」の中で、かぐや姫が、帝の御使に会うのすら嫌がったときに、育ての親は困ったあげく「娘は年も行かず、コハク(強情で)ございまして」といいわけをいっている。舌がコワクて、母の乳を飲むことができない(太平記)というのは、舌がつつばっていることで、コワキ物怪とは、頑固でなかなか退散しない物怪のことであろう。また、笛を吹いてみたら、コワイ穴が三つあったというような場合は、通りのわるいという意味であろう。
このごろは用いないが、クチゴワイという言葉があった。人と言い合って、つっぱねて言い負けていない人に使う。室町時代の狂言「どもり」に、女がクチゴワなので離別するという話もある。

ところで、人間は、恐ろしいものに出会うと、体中の筋肉が硬直してしまう。つまり、筋肉がコワクなる。室町時代になると、今日われわれが使うような、コワイの使い方が現われてきて、夜道を歩いているときに、何か出て来はしまいかと思っていると、松の木が人に見えたりする。そのとき、「コワイコワイと思って通れば」といっている。
今日、方言で、コワイを「疲れた」という意味に使う地方が非常に多いが、筋肉が、かたくなるところから変っていったものである。







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