日本のおもちゃは原材料の乏しさをアイデア技術でカバー

1.おもちゃ戦後日本の輸出品は、原材料の乏しさを、ただで手に入る「技術」でカバーしたものがほとんどでした。アイデアを手先の器用さに載せてつくり出されたものが、輸出品の中心だったのです。

その中でも重要な位置を占めていたものの一つが、世界中の子供に向けてつくり出されたおもちゃだったろう。原材料は、竹や木であり、金属は中身を食べたあとの缶詰を廃物利用したものが多かった。

太平洋戦争の激化にともない、おもちゃは不要不急のものとされ、資材の供給は厳しく制限されていた。金属・非金属を問わず軍需物資、兵器に回されたため、おもちゃの材料は、敗戦時には底をついていた。

その結果が戦後の輸出にも反映していたわけだ。
敗戦後、世界にむけて持ち出される日本製品は、材料の乏しさをアイデアでカバーしつつ、より大きな楽しみをつくり出すものが中心になっていたといえよう。その延長上に、いま子供のみならず大人の楽しみを満足させるものがつくられ、輸出されていると考えてよい。

漫画、 アニメをはじめゲーム機やカラオケはいま世界中で楽しみの世界をつくり出している。その普及はじっさい世界の隅々に及んでいるといって言いすぎではない。 これらはいわば娯楽文化としての普遍性を備えているといえる。

文化の普遍性とは、商品という形をとれば世界商品ということであり、音楽のジャンルでいえば「世界音楽」すなわちワールドミュージックであろうし、また、スポーツの形をとればオリンピックへの採用が一つの指標にはなるだろう。

けれども世界各地でみられるだけで文化の普遍性を語るのは行きすぎだろう。「世界を制したスーパーマリオブラザーズ」なんてタイトルはかっこ良いように見えるが、世界の人々が気に入ったから手に取っている。という程度でまずは受け取ればいいのではないか。

2. 大上段に構えた分析よりも、その受容の諸相を見ることが大事だろう。
日本生まれのコンピュータゲームや漫画、アニメがどれほど世界に広まっているか。それは想像を越えるものがある。とはいえこの事態をみて、娯楽の分野における「日本文化」が世界を制覇しつつあるとはいえない。

けれどもかつての「日本文化」と異なるものが、驚くような広がりをもって、ときに「日本」のイメージとともに浸透してゆく事態は、これからも増えそうだ。




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