沖縄は日本でありながら本土と違った文化や歴史を持っている

本土と異なる歴史をもつ沖縄
沖縄は、日本の中でも独自性の強い地域である。小さい島々のみからなり、それが東西1000キロメートル、南北400キロメートルの広大な海域に分布している。沖縄の全域は、亜熱帯に属する。雪が降らない日本唯一の県が沖縄県である。

沖縄は、古くから日本列島、朝鮮半島、中国、東南アジアとさまざまな交流をくり広げていた。戦国時代に東南アジアに日本人町ができるより前に、沖縄は大航海時代に入って14世紀後半から沖縄の商人は、しきりに東南アジアと行き来した。彼らはゴール人とよばれ、不正が大嫌いな誠実な人びとだと記録されている。

古来あちこちの文化をとり入れて、沖縄文化とよぶのにふさわしい独自の文化をつくり上げてきた。日本にあって、本土と異なる文化をもつ地域が沖縄であった。沖縄文化が本土の文化と同化していくのは近代以降である。

慶長14年(1609)の島津氏による沖縄征服が沖縄の歴史の大きな転機になったことはまちがいない。沖縄語は日本語の方言の一つであるが、沖縄はそのときから日本の一部に組み入れられる道をたどることになった。これがなければ、沖縄がいくつかの島のまとまりごとにそれぞれ独立政権をつくる形になったかもしれない。

沖縄県の面積は思いのほか広い。全体で2200平方キロメートル余りある。けっして小さな島の集まりなどとあなどれない。沖縄県は2100平方キロメートルの東京都より広い。大阪府と香川県の面積は東京よりさらにせまい。

日本が進出する前の沖縄の歩み
沖縄を構成する島々は、それぞれ独自の歴史をたどった。そのため沖縄本島の統一は15世紀はじめの第一尚氏の出現を待たねばならない。

沖縄本島の勢力が先島諸島に及ぶのは、第二尚氏の時代になってからである。尚真が与那国島まで征服したのは16世紀はじめである。しかし、第二尚氏の他の島々に対する支配はゆるかった。

沖縄が一つの地域と意識されて一つの政権のもとできっちり支配されたのは、島津氏支配がなされたのちのことだといえる。
沖縄には本土と同じ縄文文化がみられたが、本土に水稲耕作が広まって弥生文化が芽生えたのちにも、沖縄の人びとは狩猟、漁業による生活を続けていた。12世紀末になって、ようやく沖縄に金属器と稲作が広まった。

これによって、農村の指導者である按司があらわれた。彼らは「グスク」とよばれるをつくった。そこで、12世紀末以降をグスク文化の時代とよぶ。

現在でも、沖縄のあちこちにグスクの跡が残っている。島津氏の支配がはじまるまでの沖縄は、グスクに拠る村落首長按司の連合政権の性格を強くもっていた。

14世紀はじめごろ、沖縄の按司をまとめる山北、中山、山南の三大勢力があらわれた。そして、1429年に中山から出た尚巴志が三山を統一して第一尚氏を起こし、470年に尚円が第一尚氏に取って代わって第二尚氏を立てた。

ただし、沖縄最初の歴史書は、島津氏支配の時代になってからつくられたものにすぎない。ゆえに、第二尚氏より前の時代の実像はあやふやである。沖縄本島以外の島々の古い時代の歴史を知る手がかりは、考古資料以外にないありさまだ。




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