日本と朝鮮は隣接しているけど同質性を見つけ出すのは難しい

日本と朝鮮は地理的に隣接し、歴史的に交流が深かった
1592年と97年、豊臣秀吉は朝鮮に出兵しました。この二度の戦役に支倉常長も参加して、後衛の役割を務めています。
日本と朝鮮は海を隔てていますが、隣接しているので、当然古くから密接な交渉がありました。古くは、神功皇后の「三韓征伐」の話が『古事記』や『日本書紀』に出てきます。

朝鮮は一つの国にまとまることが少なく、4世紀頃には高包麗新羅、百済などに分裂していました。その中で日本と特に密だったのは百済です。
663年、新羅と対立し、660年に滅亡していた百済を助けるために、日本は約4万の兵を送り、新羅を助ける唐の水軍と白村江で戦い敗れました。このために多くの百済人が混乱を逃れて日本に入ってきました

ところで、岡山県総社市に鬼ノ城とよばれる山城があります。2005年に一部が修復され、姿を現しました。300~400メートルの山の頂に堅固な城壁を巡らし、その中に石壁を積み上げておを築いています。険しい地形と相俟って極めて防御性の高い城です。

これは日本に来た百済人が唐・高句麗軍が攻めてくるのを予想して築いたものです。その全容を見ると、相当の労働力が必要だったことが推測されます。この種の山城は西日本を中心に全国に約30か所あるといわれています。九州の大宰府近くにもあります。総社市の鬼ノ城が復元されてその姿を見ることができるようになりましたが、それ以外の山城はすべて廃れてしまい、いまではわずかな痕跡を留めるのみです。
防護堅固な城であるにもかかわらず、ほとんどつかわれることはなかったのです。

ここに日本と朝鮮の違いが端的に表れています。やはり朝鮮は大陸であり、戦いとなれば堅固な山城に拠らなければ悲惨で過酷な状態に陥ることになるからです。飲料水一つをとっても雨水に頼らなければならないような居住性の悪い環境を拠りどころにしなければならない朝鮮。

それに比べて日本の城は居住性を重視し、防御性と一体化させています。そもそも城はその主が居住するところなのです。これはどのように小さな館や砦であっても変わりません。日本の歴史にも戦は幾たびもありましたが、本城を捨てて居住性を無視し防御に徹した山城に移るといった発想はありませんでした。

このことは過酷な大陸の気質に比べ、日本の平和で穏和な状態を示しています。日本の人々は朝鮮式の山城に籠もる人を、鬼と感じたのでしょう。鬼ノ城のよび名はそこからきているのかもしれません。そして、この鬼ノ城の名称は、山城に対する日本人の違和感と否定的な感情を表しています。

このように日本と朝鮮は地理的に隣接し、歴史的に交流が深かったにもかかわらず、異質です。このことは文化のさまざまな面に見られます。朝鮮は中国と同じで、仏教が根付きませんでした。中国の影響で儒教あるいは道教を受容したからです。

文学の面でも、『万葉集』や『古今集』『新古今集』のような独自の詩歌も希薄ですし、『源氏物語』のような物語文学も、『方丈記』や『徒然草』のような随筆文学も育ちませんでした。儒教も道教も共同体宗教であって、仏教のように個々人と向かい合う個人宗教ではありません。この宗教のあり方は、個々の人間性を表現し、対象化する芸術が育たなかったことと対応しています。
日本と朝鮮の間に同質性を見つけ出すのは難しい。日本人はこのことを意識しておくべきでしょう。

では話を近現代に移します。近現代となれば、日本人と朝鮮人の間には日韓併合の問題が横たわっています。韓国人にしる北朝鮮人にしろ、日韓併合は侵略であり、日本による朝鮮半島の植民地化であったと決め付け、その意見を変えようとしません。

この侵略や植民地の概念は白人国家が南米やアジア、アフリカで行ったそれとまったく同じです。しかし、日本が朝鮮半島で行った統治は、それとはまったく違いました。
たとえば、教育制度です。小学校から大学までを整備して、日本と同じものにしようとしています。
いま、韓国の文字表記はハングル一辺倒ですが、この土台をつくったのは日本です。

日韓併合以前、ハングル文字は諺文といわれ、卑しい文字、低級な文字とされ、正式の場で使われることはありませんでした。正式の文書は漢文であり、これを操れるのは両班階級でした。朝鮮語の発音とは異なる漢文は一般人には縁遠く、このことが低い識字率の土壌にもなっていました。しかし日本統治下でハングル語綴字法統一案が考案され、朝鮮人が朝鮮語の発音通りに文字を書けるようになりました。現在、韓国語といえばハングルが当然となっている土台は、日韓併合時代に築かれたものなのです。

土地調査事業が行われ、米作増殖計画が進められました。日本から近代工業がもち込まれ、発電所の建設などインフラの整備が進捗しました。
日本の近代化は維新という自らの行為によってなされましたが、朝鮮半島にはそのような契機はありませんでした。朝鮮半島の近代化は日韓併合によってなされたという側面もあるのです。
このように見てくると、日韓併合で日本は何をやったかが明らかです。日本は朝鮮半島を日本と同じようにしようとしたのです。

白人国家の植民地支配は日本のようなやり方はしません。その目的は収奪の一語に尽きます。ですから、日韓併合につきまとう、一方的な侵略や植民地化であったという誤解は返上しなければなりません。

日韓併合の誤りについて述べるとするならば、前述したような日本と朝鮮の異質性をとらえきれなかったことでしょう。日本と朝鮮は隣り合い、歴史的に長く深い交流がありますが、異質なものが多いといえるのです。このことは肝に銘ずるべきです。




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