ルールに忠実な日本人がそのまま国際社会に飛び込むとどうなる

1.オフィスはまさに弱肉強食の世界
世界では、さまざまな習慣、言語、価値観などを持った人々が、それぞれの事情で生きている。さらに、政府や権威にひどい目にあわされた経験があり、体制や上位者のことを、ぜったいに信用しないという人がたくさんいる。

すきあらばとれるものをとっていく人たちの弱肉強食ぶりは、外国流の職場にも通用する面があるのではないかと思う。盗みを働く人と机を並べているというわけではないが、人の社会を必死で戦う生身の人間の集まりであることには変わりないからだ。

「けじめ」という日本語は英語でどう言ったらいいのか分からないが、おそらくこれは、外国流の組織には見当たらない概念なのだと思う。ここではさらに、「ごめんなさい」「潔さ」「謙虚」「遠慮」「恥」「不言実行」「滅私奉公」も、見つけにくい概念の仲間に加えていいかと思う。

誤解のないように言うと、これらの言葉や概念は、それ自体は国際社会でもどれも大事で、推奨されている。たとえば、国連職員には世界共通の「職員の大事な資質」が決められているが、それには「チームワーク」「私利私欲を忘れて行動」「誠実さ」などなどの指針が並ぶ。

だから、これらを外国流では「やってはいけない」と言いたいのではない。できることなら、このような日本流をどんどん続けたらいい。もし、できるのなら、だが。ルールや規範があれば120パーセント忠実に守り実行するのが得意。

そのぶん、ルールやスタートラインがはっきりしないところで、さあ自由に競争しなさいと言われでも、はたと困ってしまうことが多い。これに対し、外国人は、違反はしないものの、時と場合と相手に応じてルールをやわらかくカーブさせる方法はないものかと、知恵をめぐらせ工夫する。そんな人ばかりではないだろうが、外国人にそんな器用な複眼の人が多いのは事実だと思う。

ルールに忠実な日本人が、そのまま国際社会に飛び込むとどういうことになるか。それは水泳にたとえて言えば、競争者たちはときどき浮き輪や、ボンベを使っているのに、日本人だけ最初から最後まで素手で泳ぎ切ろうとしているようなものだ。泳げないこともないだろうが、なかなかきついことは確かだ。

組織の和と、重たいかもしれないが優しい人間関係が日本流の職場の特徴であるのに対し、人はそれぞれ異なる考えを持ち、それをみんなはっきり主張するので いつもどこかに紛争の種を抱え込んでいることが、外国流の組織の前提だと言っていい。

だからといって構えることはない。人々はみなスーツを着てにこやかで、レディーファーストが徹底していて、にこやかで、ハグとキスで挨拶を交わしあう。さっとドアを開けてくれたり、飲み物をさりげなくサーブしてくれたりするかもしれない。ジョークを忘れない人も多い。そう、スマートな動物園みたいな感じだと言っていいかもしれない。






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