日本料理は中国やインド料理に勝てない!その理由は…

1.国によってこだわりの強弱が違う
昔は海外に日本食のレストランは数えるほどしかありませんでした。 それがいまでは、世界中多くの場所に日本食レストランがあります。それだけ日本料理が世界に認められたわけで、日本人としてはうれしいことです。

とはいっても、中国料理店やインド料理店の数にはかなわない。これらの料理店は、それこそ世界の果てにまで存在すると言っても大げさではない。それほど世界中に、中国人とインド人が散らばっているということだ。

数の問題だけではない。中国人の多くは、自らの料理が世界一だと思っているように見える。中国人は世界中どこへ行っても、中華料理を食べることにこだわる傾向がある。インド人も、辛いカレー味のインド料理への執着心が強いようだ。中国人やインド人と一緒に食事をするとき、それがどの国の場合であっても、中国料理やインド料理に引っ張られてしまう。

「日本料理を食べよう」という雰囲気にはなりにくい。 日本人の多くはその意味での主張性が弱いと思う。たとえ日本の国内であっても、外国人と食事をするとき、堂々と「日本料理を食べよう」とは断言しないことが多い。「せっかく日本にいるのだから、日本料理にしたいのですが、生魚は大丈夫ですか?」などと遠慮がちに提案することが多いのではないか。

中国にいたら、中国人は自信満々で、「この店の料理は最高です」などと言いながら、中国料理店での食事を一方的に決めるであろう。インド人しかりだ。このあたりの主張の弱さがある限り、グローパル化の点で、いつまでたっても日本料理が中国、インド料理に及ぶことはないだろう。

インド人に多いのが、菜食主義者(ベジタリアン)だ。鶏卵を食べるかどうか、根菜を食べるかどうかなど、ベジタリアンにもいろいろあってややこしいのだが、これらの人たちは、どんな時と場合でも、自らの意志を貫く。イスラム教徒も同じだ。公式の場での振る舞いは欧米流を身につけていても、人生・生活の根幹にかかわる場面では、主張すべきは主張する。

日本人はどう映るのだろう。そのようなアジア人の目に、日本人の場合、本当は白飯と味噌汁が無性に食べたいときでも、フランス料理、イタリア料理、何でも受け入れる態度をとり、それらの料理に対して、ある程度の薀蓄を傾ける器用さを持つ。

本当は日本酒や焼酎を飲みたくても、ワインやウイスキーなど、相手の嗜好に合わせがちだ。そのくせ日本人だけになると、海外にいるときはなおさら、日本食に執着する傾向がある。

グローバル時代を生きる上で、柔軟性は大切な要素ではある。でも、こだわりのなさは、柔軟性とはちょっと違う。つかみどころのない人間。主張性のない人間。同じアジア人の仲間からも、日本人はそう思われる恐れがあるのではないだろうか。






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