日本人の学習能力の旺盛さと片づけ・収納レベルが高い

学ぶ民族の真骨頂
その静かなる存在感で注目を浴びる日本人は、学習力においても、アーティストのような感性でレベルアップさせてしまう民族だったのです。

世界中が目を見張った東日本大震災直後の日本人の共存共栄のエネルギーは、ともすれば「我先に」が合言葉の西洋文明で育った欧米人に、人間力の底力を見せつけた舞台でもあったのです。 その大震災から1年後のことですが、まれにみる春の嵐が日本列島を震憾させました。

風速30メートルの暴風雨を伴う低気圧は交通を麻痺させ、帰宅客をパニックに陥れたのです。だが、ここでも、アメリカ人がネット上で驚嘆したのは、日本人特有の学習能力の旺盛さでした。

看板をも落下させた突風と、傘もさせない暴風の予報に、東京の大手企業の中には午後早く全社員を帰宅させる措置を取った会社もあり、震災の際に大問題となった帰宅難民の二の舞を防ぐ策を国家レベルで思案したのでした。

通勤帰宅に多用される各路線の運行状況や混雑状況を、ツイッターを駆使して情報化したJRや東京メトロ。震災の教訓を生かしたITの知恵で、自然の驚異という窮地を乗り越えるのに大きな一役を買いました。

また、横浜市は、帰宅困難時の宿泊受入れ施設のスマホ検索サービスも開始しました。転んでもただでは起きない日本的発想に、世界中のネット社会が注目した事実です。それは、これこそがSNSの未来像という指針を、実際の危機下で発信した日本人への大拍手と受け取っていいのではないでしょうか。

今日はなにを食べたとか、誰もが既に知っている情報を得意げに眩くアメリカ人のツイートと違い、日本人は、使える情報を流すメカニズムとして日々進化させています。

事業でも社会機構でも、基礎を築くのは上手だけど、それを応用するのが不得意なのがアメリカ人。他人が築いた基礎から自己流の応用編を編み出すのが得意なのが日本人という印象をもちます。

昔は電化製品、今はSNSと、応用化する基礎こそ違え、オリジナルを凌ぐ利便性や機能性を生む日本人の学習(加工)能力は、近い将来、ソーシャル・ネットワークの進化形態を根底から覆していくのではないかとさえ思うほどです。

ましてや、同窓会、幼馴染、親戚付き合い、冠婚葬祭などの絆行事をことのほか大切にする日本式の生き方は、疎遠社会、個人主義社会のアメリカよりもSNS環境に適しているといっても過言ではないのです。


アメリカ人が考えもしないような部分に市場性を開拓し、「ユーザー・フレンドリー(消費者目線)」という言葉に革命をもたらしている日本人の感性に触れて驚いたという人は多いです。

我々日本人が当たり前に活用している品物でありながら、日本を一歩出たら売っていないモノはたくさんあります。

例えば、口臭消しのグミ、テカった顔の脂分を拭き取る紙、公衆トイレの便座に置くティッシュなど、「あったら便利なアイテム」を商品化して「あって当然の品物」にしてしまっているところが日本人のすごさなのです。それらのアイテムは、「痒いところに手が届く」という相手を思う国民感情の成せる、日本ビジネスならではの消費者目線の産物です。

口臭消しの小粒のキャンディーやグミにしても、ただスッーとして一時的に口臭が消えるのがアメリカ製のミント。胃に吸収されて、体の内側から口臭を長時間にわたって制御する日本製のブレスケアは、身だしなみを気にする外国人にも好まれています。


片づけ、収納でも注目される日本式
痒いところに手が届くサービスといえば、なんといっても掃除や片づけの部類が多いでしょう。 小綺麗という文化のないアメリカは、片づけられない症候群の人々で溢れていますが、最近日本でも片づけ、収納がブームで、その手の本が売れています。

整理法や片づけ方は、日本人の技の輸出品として注目すべき分野です。 日本への憧れが、武道、茶道、華道、書道をはじめ、食文化やかわいいカルチャー、そして、日本人という生き方にも飛び火している昨今、整理整頓やお片づけを朕として教えることに、アメリカ人が共感を感じつつあるからです。

アメリカ人の片づけの概念は、どちらかというと移動が基本です。つまり、煩雑になっている範囲にあるモノを、他の場所へ移すことが片づけと錯覚してるのです。

だから、全体的には何も片付いてはいないケースが多いのに比べて、部屋や机、オフィスや倉庫に充満したモノを「捨てる」という観念から片づける日本流は、断捨離思想を行動に移すスタイルです。

片づけられた部屋で生活することがいかに清々しいかを経験すると誰でも気持ちがいいものです。 日本人という生き方の伝承は、個人レベルから始まって世界へと広がっていくことも可能なのです。






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