日本組織の強みは仕事ができなくても解雇せず武器になること

1.仕事ができない人も武器になる
たとえ能力的に特別に優れていなくても、仕事を通して組織に役立つことはできるはずです。このような考え方は、内外どこでも通用するはずです。ところが、グローバルな仕事の現場においては、「仕事ができない」とされる人間は露骨に冷遇され、状況によっては解雇される運命にあることも珍しくない。

競争の激しい、グローバルビジネスの現場では、「できない人間」を雇用しておくほどの余裕はなく、一寸の温情が命取りとなりかねないとされているのだ。それほど非情な競争社会に、日本も踏み込まねばならないのか。

日本の労働法(判例)では、簡単に従業員を解雇できない。でも外国企業の誘致を促すとか、有望産業への人材移動を促すといった主張のもとに、解雇の要件を緩和しようとする考え方が、日本の政財界の中にも目立ってきた。

「バカとハサミは使いよう」ということわざがある。ややもすると、倣慢なものいいとも受け取られかねない言葉だが、要は、使う側によって、どんな能力の人も活かせるということだ。この考えは、日本人の間にはある程度共有されているように思う。これはグローバル化に逆行しているように見えるが、日本がグローバル世界に参入する際の武器となる要素ではないか。

トップダワンで決められる一定の生産性や効率性を達成できないからといって、数値だけを基準に機械的に切り捨てるやり方がいつも良いとは限らない。少なくとも、日本人が慣れ親しんだやり方ではないはずだ。

日本の組織は優秀な現場によって動かされてきた。一般的に言ってどんな組織でも目立ってできる人間はそんなにいない。まあまあの人間が集まっていて、その人たちの総意によってことは動く。ちょっとできる人もいれば、ちょっとできない人もいる。ものすごいキレ者もいなければ、激しい愚か者もいない。そのようなドングリの背比べ軍団であることこそが、日本組織の強みではないだろうか。

ドングリの背比べだからといって、全員をただ公平に扱う悪平等はない。できない人を人間関係の絡みで優遇する縁者びいきも、さほど横行していない。適度に競争させて、処遇にはある程度の差をつける。

でもその中の負け組を極度に冷遇したり、切り捨てたりも、これまではあまりしてこなかった。それなりの責任を持たせる工夫を怠らない。それによって、たとえ後れをとったと感じることがあっても、その人たちが発奮し、意気に感じて仕事をする。それが組織力全体の向上につながる。日本の組織運営は、そのようなやり方で、いままで効果をあげてきたと思う。

ノルマが厳しく、限定時間内に成果をあげないと自分の立場が危ない。グローバルピジネスのエリートたちはそのために、「足手まといの人」たちを機械的に切り捨て、できる人たちだけで何とか成果を出そうとする傾向にある。そのような非情で余裕のないやり方に、日本人はうまく手を染められないのではないだろうか。

「バカとハサミは使いよう」という言葉の基底には、実は冷徹な合理主義があるが、日本流のそれはその裏に優しさや温情が張りついている。わずかな能力差のどんぐりの背比べ集団の中には、激しく見下す対象者がいない。わずかの差で後れをとった人への扱いには、常に優しさや温情が備わり、相手にもそれが伝わる。そして相手は、意気に感ずる。日本的温情を伴ったこの手法は、海外でも通用すると思う。

日本人が好む、組織一丸の全員野球を、グローバル社会に実現する有効な手段ではないだろうか。






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