ごめんと謝れば良いと思っているのは日本人だけ!

1.「ごめん!」と言わない
「ごめん」と言うのは、人間関係を保つ手段として、日本では大切な言葉だ。しかし、何か迷惑ごとや反社会的行為をしでかした人に対して、「まずは頭を下げろ」という日本人の論理は外国では通用しない。

ちょっとぶつかったり、体が触れたりする程度なら「sorry」や「excuse me」を連発しても構わない。多分、相手も連発してくるであろう。でも、ことがより重大なときは、不用意に謝らない。 謝る必要のないときも、たとえば「ありがとう」と言うべき場合でも、日本人は、「ごめんなさい」「すみません」とよく言う。たとえば、「お休みなのにわざわざ来ていただいて、どうもすみません」と言う。この言葉を直訳して外国語で告げると、外国人は「何で謝るのか」と不思議に思うであろう。

グローバル社会の中では、むやみに「ごめん」と言わない訓練が必要だ。自らをいたずらに不利な立場に立たせてしまう。ごめんで済めば警察はいらないという言葉がある。結構大きなもめごとでも、日本人は「ごめん」で何とか済ませようという意識が、この言葉から透けてくる。日本人は、「ごめん」という言葉で、非の重さを軽減してもらおうとしがちだが、この意識は外国ではあまり通用しないと思う。

外国に行って、「ごめん」と言わない訓練をする。ことの大小にもよるのだが、たとえこちらに非があることを自認する場合でも、すぐには謝らない訓練がいる。日本人の意識としては、後ろめたさがあるかもしれない。でも、自分の身を守ることが第一だ。外国では、誰も助けてくれない。

相手がこちらの非を主張しているときでも、文化習慣の違いからくることも多々あるので、相手の主張を聞き、自分の考えを述べ、相互の違いを分かり合うように努力する。相手側に非があると思われるときでも、「まず、謝れ!」とは要求しない。相手の非を論理的に主張して、相手に納得させる努力をする。「謝れ!」という言葉は、人のプライドを突き刺し、相手を感情的にする言葉だ。冷静で論理的な議論から逸脱し、話をややこしくする。

外国に行けば、種々のトラブルに巻き込まれることは多い。ホテルのサービスが悪かったレストランの従業員が注文を間違えたとき、こちらが約束事を守れなかったときなど。 日本人は、グローパル化を恐れなくてして安易に謝ったり、相手に謝罪を強いたりする態度を避けて、冷静に話し合う習慣を身につけることは、これからのグローバル社会を生きる必要な武器だと思う。

話し合いの先はどうなるか。多くの国では、口より先に手が出ることはまずない。よほどのことがなければ、取っ組み合いの喧嘩にはならない。相手がこちらの立場を理解すれば、その先には妥協が待っている。妥協点をどこに落とすかは、議論の巧拙にかかってくる。






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