日本の流行は個性が感じられない

外国の都市には、肌の色はもちろん髪や目の色など実にさまざまな人がいる風景が当たり前です。典型的な多民族国家であるブラジルの場合はインディオと呼ばれる先住民、旧宗主国であるポルトガルを中心とするヨーロッパ勢、後から移民で入ってきた中東、アジアの人々、それにアフリカの黒人が見事に混血しているのだから、その外観のバラエティも並大抵ではないでしょう。

同時に階級社会であるから、各人所属する階層にふさわしい服装をてんでに着用しているのも特徴です。さらに、メキシコなどでは一日の中に四季があるといわれるほど、気温が変わるので毛皮とTシャツが並んで歩いたりしていて、ともかく多様なのです。

こうした地域と日本を比べてみると、同じような風体、服装がなんと多いことに気が付くと思います。外国人がよく「日本人は皆同じにみえる」というのも無理もないことです。大体、背格好や髪の色、顔型がよく似ている上、服装が目立たないことを旨としているのだからこのような印象も当然かもしれません。

まあ、サラリーマン諸氏が波風たたない服装や髪型にすることは、理解できないことではないですが、個性を発揮すべき若い層が競って同じような外形を好むことには首をかしげたくなります。特に、女子中高生がそろってはやりのものを身に着けたり、持ち歩いたりしているのは納得がいかない気もします。

日本人の有名ブランド嗜好も含めてですが、この国では流行とは人と同じものを持ったり、身につけたりすることを意味し、それが似合うか、ふさわしいかは二の次、三の次なのです。

流行に遅れることを、恥ずかしくまた恐ろしく思う発想は、その昔異端の烙印を押されて村八分にされる恐怖に通じるものかもしれません。その証拠に、中高生で皆と同じ服装をしないことは、いじめの原因にもなるというぐらいです。


日本の横並び思想
日本の横並び思想はなにも服装や買い物に限らず、意識しないところで広範に浸透しています。

もうひとつだけ例をあげると、社会的に不祥事を起こした企業の謝罪は常に「世間をお騒がせした」ことによる。他社がしない特別なこと、余計なことを行って、波風をたてた事実が悪いとの理屈です。

もっとも、いう方も、聞く方もさして言葉の重みなど感じていないだろうが、海外ではpublicをdisturbしたと報道されたそうだから、不可思議国ニッポンのイメージを一層拡大させた恐れは十分にある。

横並びという日本人の抜き難い生活原則は、日本が農耕文化の国であることと多分つながりがあるでしょう。農作物作りでは、周囲と同じ時期に種をまき、水をやり、刈り取りを行えば大きな間違いはないし、こうした作業自体共同で行うことも一般的です。そこで抜け駆けをしても、リスクが増えるばかりでなんの利益にもならないのです。例外を恐れて模倣を重んじる社会が、世界の中では例外となる。これほど皮肉なこともないかもしれません。



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