日本は春夏秋冬の四季を感じられる国

われわれの身近には、あまりにも存在が当たり前すぎてそのありがたさに気付かない事柄が多くありますが、春夏秋冬の四季もそのひとつだと思います。日本人にとっては、春は桜に夏は海、秋は月見で冬は雪とそれぞれの季節を明確に意識することができますが、世界をみればそれが不可能な地域はいくらでもあります。

例えば、メキシコシティは6月から2月までの雨期の間に夕立があることを除けば、一年中同じ気候、同じ気温です。従って、そこには季節感という概念は存在せず、時は漫然と流れています。

これは極端としても、ほとんど夏と冬の二季しか存在しない所、あるいは物すごく暑い夏と普通の暑さの夏しかない所などさまざまであって、日本のように3カ月ごとにバランスよくしかもメリハリのついた四季を経験できる国は世界でもそれほど多くはないでしょう。

そしてこのことが日本人の感性に大きな影響を与えていることは容易に想像できるし、自然に処する姿勢もより細やかなものになるのではないでしょうか。われわれの会話に天候や季節の話題が極めて多いことは、日々よく体験するところだと思います。

俳句という世界でも類のない短形詩の特徴は、その短さだけではなく季語を必ず入れるという、これまた他の詩歌にはないユニークな約束事があります。

わずか17文字の中に季節を表す言葉を入れようとすれば、それだけ入念かつ鋭敏に自然をみる姿勢が養われることになることは間違いありません。こうした俳句を愛好する日本人がおおよそ2000万人いることは、この国で自然がどう位置づけられているかを知るひとつの手がかりとなるでしょう。

もっとも現在では、植物にしろ動物にしろ季節の移ろいを感じられる度合いは、人と車あふれる東京とまだまだ自然豊かな地方都市では雲泥の差があるのも事実。


自然と宗教
自然と人とのかかわりを考える際に避けて通れないのが、宗教的な視点からの見方である。ユダヤ教やキリスト教では、自然も人も神によって作られた被造物であるとして、自然の中に聖なるものを感じるのではなく、むしろこれを征服し、ねじふせる対象としてとらえられる。

これに対し日本では、山のひとつひとつに神が宿り、大きなケヤキにしめ縄をかけてあがめるアニミズム信仰がその原点にある。風神、雷神、火神など自然現象そのものを恐れ、神として奉るという風習も古くから行われてきました。

年間500万人が訪れる伊勢神宮の内宮。五十鈴川にかかる宇治橋を渡れば、聖域としての雰囲気が濃厚に漂う。参道には鉾杉が立ち並び、周囲は神域として全く伐採をすることのない深遠な木々が続いています。

環境破壊、地球汚染が叫ばれる現代こそ、自然との対立を標傍してきた西欧社会も、日本的な自然との共生を図らざるをえない時代なのではないでしょうか。



この記事を見た人は、一緒にこんな記事も読んでいます!