日本人は自己主張が苦手だけどそれがコミュニケーションだった

1.「沈黙は金」はグローバル・スタンダードか
グローバル化対応への日本人の課題の一つとして、自己主張の問題がある。外国人との会議の場などで、日本人は口数が少なくて大人しい印象があることは否めない。日本の教育は、先生が一方的に知識や情報を与えて、学生に覚えさせる方法が主流だった。自ら考えさせたり、学生同士で議論させたりする教育が希薄であったことが、影響していることは確かにあると思う。

幼児のうちから自己主張をさせる教育に熱心だ。三度の食事のときも、好きなものを自分で選ばせたりしている。好き嫌いのさせまくりで、傍で見ていて非常に違和感を覚える。アメリカでは、自己主張のできない人間は、生きてゆけないそうだ。

自己主張をぶつけ合う会議の場で、議論慣れしていない日本人は一般的に目立たない。しかしディベート術の巧拙と、主張内容が正しいかどうかは、必ずしも連動しないはずだ。

話術の巧みさや、声の大きさ、派手な身振り手振りなどの表層部分では圧倒されても、主張する中身で日本人は勝負できるのではないか。ディベートという技術はいままで日本人になじみ薄いものであったが、モノの見方、考え方と、それに伴う説明能力という点で、日本人が劣っているとは思えないからだ。

欧米のトーク番組を見ていると、参加者同士が喋りまくっている。他者の話が終わっていないのに割り込んで、自分の主張を通そうとすることもよくある。昨今の日本のテレビ番組でも、こうした光景を目にすることは珍しくないが、本来なら日本人はこのようなディベートにとてもついていけないし、それを倣う必要もないと思う。

「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し。口先ばかりで腸はなし」ということわざがある。腸を、中身あるいは悪意とする解釈があるが、ここでは中身と解する。言葉がペラベラと巧みでも、中身がなければ相手から軽く見られる。「立て板に水」ではなくても、話の中身が濃ければ、相手は真剣に聞いてくれる。

日本人には、日本人の主張方法がある。多弁な外国人の方法に合せるよりも、自分のペースを守るほうが大切だと思う。相手が喋りまくって、それですべてが決着する議論はあり得ない。必ずこちらの意見も求められる。そのときは自らのペースで、ポイントを突いた意見を開陳すればよい。そのときの中身すなわち理論武装は、もちろん重要だ。

「沈黙は金」という言葉は、元来外国から来た言葉である。ずっと黙っていてはもちろん、ダメだが、言うべきときに言葉少なでも構わないので、自分の意見をしっかりと言う。のべつ喋りまくるより、沈黙の後に投げかけるひと言のほうがより重く、グローバルな会議においてもかえって効果的だと思う。

繰り返しになるが、ディベートが巧みだからといって、その主張が正しいとは限らない。 日本人はディベートが苦手だからといって、自己主張のできない民族ではない。相手のペースに乗らず前々と話しても、内容が正しく説得力があれば、相手は必ず聴く耳を持つ。外国流のディベートができないことと、自己主張のできないことを、混同してはいけないと思う。


2.イエス、ノーと言えなくてもいい
日本人個人にかかわる諸点について考えてゆく。日本人は、はっきりとものを言わないとよく言われる。イエスなのかノーなのか、どちらともとれない不明確な返事をよくする。日本人の返事の曖昧さは、戦略性以前の場合が大半ではないだろうか。

一つには日本人の多くが外国語を苦手とし、意思が相手に十分伝わらないことがあるだろう。また日本流コミュニケーションは、ストレートな物言いは礼を失するとか、心を傷つけるとか、相手の立場を配慮することに重きを置く。よって遠回しな表現が好まれるため、外国人に通用しにくいことが多い。

そのような言語的要素を割り引いても、日本人が物事の判断に時間をかけ、決断、決定を先延ばしする傾向が多いことはあると思う。外国の人たちを長期間待たせて、イライラさせることは少なくない。だから日本人は、スピード感をもって物事に当たり、早く決断し、行動のペースを加速させる必要があるのか?

スピーディに動くグローバルビジネスを進めるにあたり、改めるべき部分はあるのかもしれない。かといって従来の日本流を捨てて、すべて相手のペースに合わせる必要はないと思う。相手のペースに巻き込まれず、主導権を奪われず、自らのペースを守る。グローバルにことを進めるうえで、こちらのほうがもっと大事なはずだ。

日本人は基本的に、慎重に物事を判断する。そのこと自体を譲る必要はない。物事はさほど単純に決められないことのほうが多い。多面的な要素をじっくり吟味して、時間をかけて判断するのは良いことだと思う。

グズグズしていると、チャンスを逃がしてしまうのだろうか。早く決断をしなかったから損したことと、早く決断しなかった結果が正解だったこととの比率は測りようもないのではないか。一刻を争う速さが勝負となるピジネスはもちろんあるが、それらの多くは、機械的に進めるルーティン化された仕事の場合だ。

欧米流も中国流も韓国流も、日本に比べて一般的に決断が早い。でも、胸を張って堂々と決断を述べていたと思ったら、舌の根も乾かないうちに方針を変更したりする。昨日まで右だと言っていたのに、状況が変わったと言って、今日になって急に左だと言い出すこともある。

外国流は決断が早いという印象はあるが、本心からの「イエス」、「ノー」であるとも限らない。その背後に、巧妙な意図が隠されていることは少なくない。

じっくり時間をかけて方針を決める。そして決めたらその方針を貫き、行動計画を寸分違わぬ実行力で貫く日本流。日本人はこのスタイルで、世界に勝負をかければいいと思う。相手の戦術やペースには乗らない。自己流を貫き、相手をすぐにイエス、ノーを言わずに、イライラさせて、日本人は手強いと思わせる。したたかで、アクの強さを見せつけたほうが、グローバル社会での存在感を強化できるのではないだろうか。



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