日本の大学の講義は一方的に聞く意識が強い

日本の大学の講義は、一方的に聞くものという意識が強いのが特徴です。最近でこそないと思いますが、一昔前であれば先生が読み上げる講義録を逐一筆記していた時期もありました。

講義中は質問をするという雰囲気ではなく、講義が終われば皆待ってましたとばかりに教室を出てしまう。質問はいつも決まった学生が、それも時間終了後に教壇のまわりに集まって個人的にしていたにすぎません。

それに比べてアメリカの授業風景は全く違います。教授は「話の途中でも構わないから、質問があったらすぐにいうように」といって講義を始めます。そして、話は時間の半分くらいで終わって、後は質問を受けるためにあてるのです。

学生も先を争って質問や発言をしますが、中にはつまらない質問や、同じことの繰り返しもあるし、時によっては授業の内容に対する異論、反論がでたりすることもあります。

教授はそのひとつずつに丁寧に対応し、場合によっては他の学生の意見を聞いたり、質問のない学生に逆に催促などしています。かくして、アメリカの教室はほどよい緊張と刺激に満ちたものになるが、時間が終われば教授も含めさっさと解散するのが当たり前です。

このような違いの原因を考える一助として、武庫川女子大学の祐宗省三教授が日本の学生1268人を対象に実施した調査結果は興味深いものになっています。

なぜ質問しないのかとの問いには「質問したいが恥ずかしい、また人目が気になる」がトップ。以下、「質問しようとする意識がわかない」「タイミングを逸してしまう」「授業内容を十分理解していない」「先生の側に問題があるので質問しない」と続いています。

一方、日本で学ぶ留学生に日本人学生が質問しない理由を聞いたところ、「教師が質問を受ける態度がない」「日本人特有の性格」「授業を本気で聞いていない」「教師と学生の間に交流がない」などの指摘がありました。


日本の教育では話すことより書くことの方が重要
そもそも、日本の教育では「話す」ことより、「書く」ことの方がはるかに力を入れて教えられているのも原因です。

漢字を書く場合はその筆順が違えば点はもらえないし、漢字の中の横棒一本についてハネルのか、トメルのかなどが話題となります。一時、アルファベットの書き順が議論となり、外国人に確かめたところどうでもいいといわれたという笑い話に近い話もあるほどです。

ところが、日本語の発音やアクセントが宿題やテストに出ることはまずありません。ましてプレゼンテーション技法やディベート術となると、ほぼお手上げです。

電話で聞いただけでは不安なので書き物にして送ってもらい、セミナーなどで資料があれば安心してしまうわれわれの原点は実はこんなところにあったのか、と思ったりします。

ところで、ある帰国経験者からこんな話を聞いた。帰国子女として日本に帰ったばかりのころ、学校で教師の質問すべてに手をあげて答えようとした時のことです。

それまで暮らしていた海外では当たり前のことだったので、なんの疑問もなく自分の分かることをいおうとしただけだったが、授業が終わった後先生に呼ばれて、こういわれたという。「○○君日本には能ある鷹は爪を隠すという言葉があってね、自分が分かっていても黙っていることも必要なのよ」

また、海外のある日本人学校は帰国者のために、「外国帰りをあまりいわず、長く日本を離れていたのでよくわからないと謙虚な態度で友達に接しましょう」とのパンフレットを作って指導しているという。

帰国子女の父兄が学校の先生にあいさつにいったところ、「ご心配なく、すぐ普通の日本人になるよう指導しますから」といわれたというエピソードさえあるぐらいです。

現在、海外に住む日本人の子どもは約5万人、毎年1万人以上の子どもが帰国子女として帰ってくるのだから、彼らをすべて日本式の鋳型に押し込んでしまうのは、あまりにももったいない話です。



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