日本の流行は個性が感じられない

ある新聞のコラムで大学教授が、食べ物や飲み物についての話題を紹介する内容で、その回のテーマはアメリカでかなりレベルの高いパーティーに出席した際の話が書かれていました。

その教授はパーティーであっという間に酔ってしまい、後半の方の記憶は全くなかったと無邪気な調子で書いているのです。 欧米において公衆の面前で酔態をさらすような人は、少なくともこうしたパーティーにでるクラスには皆無であるからです。

これに関連して、ちょうど30年前に体験したことですが、海外旅行でヨーロッパヘいった時のこと。夜の9時ごろウィーンの路面電車に乗っていると、ふらふらと酔っ払った男が乗ってきて床に座り込んでしまった。この時の周囲の反応は、当時の私には全く予想もできないもので、温厚そうな一般市民が口々に酔っ払いをののしり、ついに彼は電車の外にけりだされてしまったのです。

日本では日常ごく普通にみられる酔っ払いが欧米社会でどのような扱いを受けるかをみて、とりわけ強烈なインパクトを覚えたものでした。

ではそうした海外で、飲酒の機会は少ないかというと全く逆で、あちらでは昼食からアルコールの入る場合がほとんどです。ラテンアメリカでは水(ミネラルウォーター)とビールの料金は大体同じくらいであるし、イタリアやフランスでハウスワインを頼めば恐らくどの飲み物より安いでしょう。

しかるに、彼らは決して酔いを他人にみせることはないのです。それは、各自がしっかりと限度なり節度を持っており、その一線を越えることは社会的規範を破ることとして、厳しく律しているからにほかなりません。そして、これが守れない人は社会の落伍者としてみなされ、普通人という電車からけりだされることになるのです。

アメリカでは道を歩きながらの飲酒は違法だし、アルコールの販売規制が厳しいカナダでは、助手席に缶ビールが置いてあるだけで酒酔い運転として摘発されるという(いずれも州によって規定が異なる場合もある)


日本の横並び思想
一方、日本では「酒は百薬の長」「斗酒なお辞さず」と酒を飲むことのステータスは極めて高いです。イッキ飲み、お流れ頂戴、俺のつぐ酒が飲めないのか、いずれも日本独特の飲酒文化から発せられるせりふです。

酒を一緒に飲めばその人が理解できる、あるいは昼間公式の場では建前だけで、夜の酒席で初めて本音がでることを期待する向きもまだまだ多いのが現状です。言葉を変えれば、パブリックスペース(公衆の場)とプライベートスペース(個人の場)を峻別して生きる欧米人と、両者の境目が何ともあいまいでオーバーラップしがちな日本人の差異ともいえるかもしれません。

そのせいか、日本人が酒を飲む相手は多くの場合、取引先など仕事上の知り合いか職場の仲間です。

最近は、日本も若い層を中心に、欧米流に変わりつつあるぞと思う半面、「酒の上」という言葉で大概のことがチャラになる寛大さや、遅い電車で目立つ千鳥足の群れとこれを許容する空気は簡単には消滅しそうにないでしょう。



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