日本人が英語が話せないのは会話教育より文法や読み書きを重視したから

1.欧米文化との出会い
日本人と欧米流についてだが、多くの人にとって欧米流との最初の出会いは、学校の英語の授業ではないだろうか。

教材はアメリカ製だったと思うが、オールカラーの絵であふれていた。そこには、茶髪で半ズボンの男の子と金髪でワンピースの女の子が登場し、自家用車、緑の芝生の庭、かくれんぼうができそうな巨大冷蔵庫があり、やはり金髪、茶髪のパパとママに、分厚いステーキと大きなチョコレートケーキをもらって微笑んでいた。

その様子は子供の目にはまぶしいばかりで、その同じ国が実は複雑な社会問題や貧富の格差に悩んでいたり、一部を除けば、東京よりはるかに寒く、うんざりするほど長い冬があったりといった面にはおよそ考えが及ばなかった。

教材に描かれた子供たちが、家の中で真っ白いソックスにぴかぴかの黒い革靴を履いているのが変だとクラスの誰かが言った。するとそのときの先生は「そうです、外国人は外を歩いた靴でそのまま自宅に入ります。だからこそ、あちらでは街をきれいに保つという公衆道徳が徹底しているのです」と言ったものだ。社会生活のマナーでは日本人のほうが一流だといまでこそ胸を張って言える。

また、家庭科では、日本の米食とアメリカのパン食を比較し、すでに製粉されているパンのほうが米より消化が良いと習った。このため、日本人の腸は一般にアメリカ人より長く、「日本人に胴長・短足が多いのはこのためです」とまで言った先生もいた。

日本にパン食が広まったのは、余剰小麦を売りたかった当時の「アメリカ小麦戦略」の結果、だといまでは知られている。また、油が少なく繊維質が多い日本食のヘルシーさは、いまや世界的に注目されている。

ワシントン、リンカーン、ケネディといった指導者たちが、いかに立派な人であったかという伝記も教えられた。その反面、ケニアのケニヤッ夕、タンザニアのニエレレ、ガーナのエンクルマ、ギニアのセクトーレなど、アフリカ独立の闘士たちについては、大学受験の丸暗記を始めるまで、ただの一回も授業で習った記憶がない。


英語力は日本人の強みという意外性
英語が苦手だからと、グローバル社会への参入に腰の引ける日本人が多く見られる。日本人は英語が苦手というのは、単なる思い込みではないか。会話教育を二の次にした日本の正しい英語教育のおかげで、日本人の多くは高度な英語力を持っているからだ。

言語学習のうちで、会話学習が一番簡単だ。幼児の言語習得も、まずは簡単な会話学習から入り、難しい読み書き学習へと進む。外国に行けば、識字率が100パーセントでない国がいくらでもある。読み書きのできない人が、たくさんいるのだ。しかしそのような人たちでも、その言葉を話すことはできる。言葉の学習は、読み書きのほうがはるかに大変なのだ。

日本の英語教育が、学習のより難しい文法や読み書き教育を重視してきたことは正しいと思う。習えばすぐに覚えられる会話教育は後回しにして、まずは言葉の基本である文法や、学習に時間のかかる読み書きを丁寧に教えてきたからだ。

「ではなぜ、日本人は英会話が身につかないのか」と言う人がいるかもしれない。普段日本にいて、何でも日本語でことが足りる環境の中にいれば、特段の努力をしない限り、英語を身につけることは難しい。逆に、使わなければならない立場に置かれたら、英会話はすぐに身につくはずだ。

周囲が外国人ばかりの環境に置かれたら、外国語会話は短期間で身につく。英語を話さなければ生活ができない環境に身を置けば、会話はできるようになる。

OECD(経済協力開発機構)の国際成人力調査(PIAAC) によると、日本人の読解力は世界一だったそうだ。これは日本語の読解力の話だが、日本の正しい英語教育のおかげで、日本人の多くが英文法や読み書きの基礎知識を持っている。日本人の英語の読解力のレベルも高水準のはずだ。その上での会話学習なら、ハードルは低いと思う。

外国に行った当初は、多分相手の言うことがよく理解できないであろう。そこで、逃げずに、自らが置かれた環境に我慢して身をさらし続ければ、ある日突然相手の言葉が理解できるようになる。相手の問いに対して、円滑に外国語で対応している別人のような自分を発見する。これはグローバル化における、日本人の強みである。英語はけっして、日本人の弱みではないはずだ。



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