勝つか負けるかのアメリカ人と痛み分けや負けるが勝ちの日本人

「持ちつ持たれつ」という知恵
共存共栄といえば、「持ちつ持たれつ」というコンセプトも、これまたwin‐winという状況を生み出す日本人の知恵です。

西部開拓時代から、勝つか負けるかの決闘で白黒をハッキリさせてきたアメリカ人は、多くの面で今でもそのままです。メジャーリーグで引き分け試合のないこともその顕著な例で、延長何十回でも勝敗がつくまでプレイします。

win‐win situationというフレーズは、90年代以降に一般的になったコンセプトなのですが、こんなコンセプトは日本人は数百年前からやっているとの主張に、日本人は喧嘩も仕事も、両方が勝つことが美徳だと思っている。でも、勝ち負けのない勝負ほどつまらないものはないというのです。

なるほど、勝敗を決するまで夜通し戦い続けるのはマッチョで凛々しい。「勝った者が強くて、強い者が正しい」が正論のアメリカらしい理論です。その帝国主義的なマイト・イズ・ライト(力が正義)志向にも近年陰りが見えてきているのを、アメリカ人は敏感に感じ始めているのです。


「痛み分け」と「負けるが勝ち」
日本には痛み分けや負けるが勝ちという奥深いコンセプトがあることを説明すると、負けたら終わりというアメリカ式の考え方は、もしかしたら浅くて思いやりのない思考法なのかもしれないと、感慨深げになる人もいます。

人生、引き分けで終わった方がうまくいくことだってあるし、勝ち負けをはっきりさせない思いやりがあった方が人間関係も滑らかになります。侍の果し合い(決闘)で痛み分けという裁定があったのは、双方が死力を尽くして戦った結果、どちらも敗者ではなく、両方が勝者として面目を保てるからです。

ここは負けたと思わせた方が得になる、後の利益につながると思えば、あえて負けたふりをする、負けるが勝ちという戦略も、相手をボコボコにして勝つことだけが勝利ではないという、日本人なら誰でも知っている奥深い生活の知恵なのです。このような勝負感覚、引き分け意識は、狭い国土で共生してきた日本人が編み出した持ちつ持たれつというお互いを元気にするメカニズムにほかならないのです。

たとえば食品関連の商売をしている人は、必ず取引先のレストランで食事をするし、友人や知人との会合でもそこを率先して利用しています。友達がオープンした店に友人を連れて行って自分の鼻を高くする欧米人とはことなり、純粋に商売相手の懐が潤って売り上げに協力することをいとわないのです。その結果、そのレストランが繁盛して、取引関係も長続きするという「持ちつ持たれつ」のバランスが生まれているのです。






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